按摩マッサージ

2016/12/16

Kindle復刻版「健康真源 正体術」発売開始

正体術Kindle復刻版第二弾「健康真源 正体術」のAmazonでの販売を開始しました。

〔復刻版〕健康真源 正体術: 創始者 高橋迪雄先生 Amazon 700円

Coverthum_2

もとは大正15年に神道家、川面凡児氏の書籍を出版していた照国会から出た本。
高橋迪雄氏による正体術の施術(矯正術教授)例が多く収められた貴重な本だと思います。

文体から鑑みて、著者は巻末の「贅語」(※余計な言葉の意)を書いた「蒼溟」という人だと思われるのですが、この人の心霊癖がかなり強い。
というか、所々に彼の心霊的主張が垣間見られ、巻末「贅語」に至っては正体術とは何等関係のない霊異譚を滔々と述べちゃってます。

ちなみに、正体術創始者である高橋迪雄氏の心霊に対するスタンスは「正体術大意」に簡潔に述べられています。

一部の論者中には心霊なる特殊のものが身体以外に在りて、身体の健康を左右するものの如く説くものありと雖も、斯くの如きは心身の渾一的作用を無視するものにして、身体の作用の全部が心となり精神となるを知らざるものなり。

高橋迪雄氏は「健康真源 正体術」出版に際して原稿チェックをしたのでしょうか・・・。

というわけで、かなり癖の強い本ではありますが、取材記事にも似た施術(矯正術教授)例や正体術の成り立ち、健康に関する解説など、興味深い内容満載の本です。


〔復刻版〕健康真源 正体術 創始者 高橋迪雄先生 照国会
==========
大正15年に照国会より出版された本書「健康真源 正体術」は、各種症例に対する正体術の施術(矯正術教授)風景や高橋迪雄氏が正体術を創始した由来などを掲載。

・本書は国立国会図書館デジタルコレクション所蔵、大正15年照国会発行「健康真源 正体術」を底本とし写真は同書より転載した。
・本電子書籍版では豊里和民氏による5ページほどの跋(あとがき)は著作権の確認が取れないために掲載していない。
・国立国会図書館デジタルコレクション上での該当書籍は「インターネット公開(裁定)著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開」となっており、跋を除いた本電子書籍版出版にあたって国立国会図書館の許可を得た。(国図電1601044-1-361号)
・旧字体は新字体に改めた。また、旧漢字は一部そのままにしたが一般的新漢字がある場合は新漢字に改め、読みづらい漢字にはルビを付した。なお、現代では不適切な表現と思われる言葉が間々あるがそのままとした。

■目次
・はじめに
・はしがき
・主文の予備たる記述
 -奇妙な事を発明した人
 -実験談片 ▽ 癇癪も癒る ▽ 柔術師の試み ▽ 二十余年の骨折が癒着 ▽ 整体術で無痛安産 ▽ 添乳眠りや椅子寝台の害 ▽ 老提督の疾患暴露 ▽ 大便時の姿勢教示 ▽ 医術対正体術 ▽ 正体と食物の関係 ▽ 偶然に発見 ▽ 角を矯めて牛を殺す ▽ 宛然たる飴細工 ▽ 按摩で悪くした ▽ 禊を了った後と同様 ▽ 自分は真ッ直ぐな積もり ▽ 即時に癒る声の嗄れ ▽ 医師の誤診暴露 ▽ 博士崇拝病 ▽ 邪視も癒る ▽ 疾病の癒らぬ訳 ▽ 発明と霊象 ▽ 枕は有害 ▽ 夏季と正体術 ▽ 正体に悪阻無し ▽ 乱暴な骨格矯正術者 ▽ 癒った癒らぬの争い ▽ 脳溢血症に酒を飲ます ▽ 西洋食の害 ▽ 非医者に非ず ▽ 現今の柔道 ▽ 真似者の功名 ▽ 要帯の効能
・健康真源 正体術
 -第一章:総論 -体の使い方の教え 骨格を狂わす習慣 自然的な体制の維持 食事も体の使いかたの一つ 体の使いかたの要訣
 -第二章:正体の核心 -正体の意義 誤られた体格検査の標準 正体術の効果 正体術の由来
 -第三章:正体の実習の巻 -姿勢矯正法
・附録
 -贅語

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/28

澄んだ体、澱んだ体(按摩的感触)

2

上の図は、それぞれ「澄んだ体」と「澱んだ体」に触れた感触のイメージ図。
人の体に触れた感触は、ほんと、こんな感じです。

人はほとんど水で出来ていますから、「澄んだ体」はサラサラの綺麗な水。
なのですが、体が澱んでくると水の流れが濁ってきてドロドロになり、それが進むとほぼ固体のように硬くなります。
一般的には、この硬くなった状態を「凝り」と呼びますが、個人的には澱んだ状態も共に「凝り」と呼びます。

ちなみに、人体で「凝る」といえば筋肉だけを思い浮かべるかも知れませんが、皮膚や皮下脂肪、筋肉、骨膜や骨など、身体組織全般に渡って凝ったり澱んだりします。

水がサラサラだと感覚も生き生きとしていますが、澱んでくると澱みの度合いによって感覚も鈍くなります。
すみずみまで感覚が行き渡っていると体はとっても軽く感じますが、感覚が鈍くなるとその分「自分の体」的感覚が失われるわけですから、重~く感じるようになります。(これが常態化して当たり前になっていると、その重さも感じなくなります)


腕の感覚・左右差(実験)

などという説明を聞いても、今ひとつ実感的に分からないかも知れないので、ひとつ実験。

1.さする前の確認

まずは、立って目を閉じます。
そして両腕を感じてみましょう。
左右の腕は、今どんな感じでしょう。
左右の腕の感じに、違いはあるかないか。
多くの人にとって、左右の腕の感覚にそれほど違いはないと思いますが、その両方の腕の感覚、感触を覚えておきます。

2.片腕をさする

次に、立ったままでも座ってもいいですから、片方の手でもう一方の手をさすりましょう。
例えば左手で右手をさするとします。
最初は、両手をこすり合わせるようにし、しばらくさすったら今度は右手の甲をさすります。
右手の甲をさすり、右手首の甲側に上がってさすり、さらに右肘まで上がって甲側の腕全体に渡ってさすっていきます。
右手の甲側を肘までさすったら、今度は右手の手の平からはじめて、さっき同様に手の平側の肘までをさすります。

要するに「肘から下の、手から腕までを丁寧にさする」という試み。
もし気持ちよい場所やもっとさすってみたい場所があったら、気の向くままにさすってみましょう。
往復的にシュッシュッと素早くさすってもいいですし、往復的にそろりそろりと優しく丁寧にさすってもよいです。
(個人的に落ち着きのない人なので(^^ゞ、ぼくはシュッシュッ派です)

3.さすった後の確認

一通り片腕をさすったら、もう一度立って目を閉じ、両腕の感覚を確かめてみます。
もちろん感覚には個人差がありますから、全員が感じるというわけではないですが。
上のイメージ図、実感としてわかりません?

さすった方の腕の方が軽くなり、ほわ~っと膨らんで拡がったような感じになり。
反対にさすっていない方の腕は、棒のように重く、キュっと締まったような感じ。
そう、あのイメージ図と一緒なんですよね。


澱んだ体は感覚が鈍くなりますが、逆にその鈍った感覚が目覚めてくると、澱みが流れて澄んでくるんです。
さすることで感覚が蘇り、徐々に凝りも解消されいく・・・。

江戸時代後期、按摩の技は「揉む」こと中心になりましたが、それ以前の按摩は「さする」ことが中心の技でした。
按摩の古典「導引口訣鈔」の「導引根源の訓(おしえ)」に次のようにあります。

『諸々の病いずれが根本原因なるや。
 曰く。
 つかえ滞るによりて起こるなり。』

そして「導引口訣鈔」の中に書かれている按摩手技のほとんどがさする技。
さすることで凝りがほぐれたり体が軽くなるって、ほんとお手軽。

体が重だるい時なんかは、ほとんど膝から下が澱んでいますから、脛やふくらはぎ、足を気持ちよく丁寧にさすってあげると、かなり快適になります。
やり方は「その人なりに気持ちよくさする」がベスト。
さする場所も「やりたい場所をやりたいだけ」。

気が向いたら是非お試しあれ。(^o^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/09/10

「按摩師甚五郎」 3(ショートショート)

「按摩師甚五郎」ゲーム(2)

「・・・と、インドでそんな興味深い経験をしました」。
「ふ~ん。甚ちゃんはラッキーだったのね。」
時々治療室に遊びに来る姪の萌菜(もな)が素っ気なく答える。

「はい、とてもラッキーでした。あのゲームのアイデアがやって来たことで、世界に対する自分の緊張に気づけましたから。」
「ホント、いいホテルが見つかって良かったね。」
「はい、それもとてもラッキーでした。望んでいたことが想像以上の形で現実化したのですから。世界は人の思惑を超えたものを用意してくれます。」
「・・・よくわかんないけど。思っていたものよりジャストフィットなお部屋だったのね。」
「はい! そういうことです。やはり萌菜子さんは賢いです。」
「もう! だからぁ。私の名前に子はつかないの! なんかお年寄りみたいでしょ!?」
「お年寄りは嫌いですか?」
「そこじゃなくって!」

「で! さっきのお話しは、世界とか緊張とかとどう関係があるの?」
「誰か、または何かに対して身構えていると、私たちは外界から身を守るために体を緊張させます。」
「でも、それってそう考えてる時だけで、いつもじゃないんでしょ?」
「いえ。そういう想いがあると無意識ではありますが常態化するので、その緊張は体の凝りになります。」
「凝りって・・・。体がカチカチになっちゃうの?」
「体が外界に対して開かれていると、皮膚はつきたての餅のように瑞々しいです。ですが、閉ざした途端皮膚の流れが澱んで弾力がなくなります。極端にいえばウェットスーツを着込んだような。そういう状態も凝りと呼びます。」
「うぇ。なんかすご~く気持ち悪そう。」
「はい。身は守れますが、遮断されているので外界をリアルに感じることが出来ません。体は重く感じられ行動力も鈍り、思考の幅や視野も狭くなります。」
「嫌だぁ~。そういうの。」
「極端にいえば、ということですが、澱み方の程度によりその傾向は強くなります。」
「じゃあ。その"世界に開いてる"だっけ? どうしたらそうなれるの?」
「はい。"私は世界に対して開いている"と思うとよいです。」
「・・・なんかさ。甚ちゃんって見た目ゴツイけど意外とお花畑なポエマーよね。でも嫌いじゃないわよ、そうゆうの。」

……(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/09/04

「按摩師甚五郎」 2 (ショートショート)

「按摩師甚五郎」 ゲーム

「なかなか見つかりませんね・・・。」
リキシャを降りた甚五郎は、インドの強い日差しを浴びながらつぶやいた。この町に着いたのは早朝だが、既に太陽は中天でご機嫌に燃えている。

インドはこれで3度目。瞑想アシュラムがあるこの町には、延べでおよそ一年間滞在したことがある。長期滞在する時は、月極めでインド人宅のゲストルームを借り、そこからアシュラムに通う。だが、今回は2週間ほどの短期滞在なので、アシュラム周辺のホテルを探すことにした。土地勘はあるので心当たりのホテルを回ってみるが、この地域のハイシーズンらしくどこにも空室はない。

インドの町を歩いていると、よく見知らぬインド人に「ジャパン、安くていいホテルがあるぞ」と声を掛けられる。彼等は外国人に正規より高い値段でホテルを紹介し、ホテルから紹介料を貰っている人たちだ。特に日本人は断れない人々なので、彼等の格好のカモになる。

馴染みの屋台でチャイを飲みながら、ふと面白いアイデアが浮かんで来た。
「これもまた瞑想になるかも知れませんね。」

チャイを飲み終え、通りに出る。
「さて、"インド人の言う通り"ゲームのスタートです。」
いかにも紹介料稼ぎのインド人に声を掛けられても、ニコニコ微笑みながら「オーケー」と身を任せるつもりの甚五郎。

一度深呼吸をし、甚五郎はこの町に、すべてのインド人に心を開いてみた。

すると、お馴染みのインドの町が、より親しみを増し優しく開いたように見える。
「世界を狭くしていたのは私でしたか」と苦笑しながら歩き出す。
自分がいかにこの町やインド人に身構えていたのかをはじめて知った甚五郎。無駄な身構えを手放してみると、なんだか素敵な予感に包まれる。「さあ、これから何がはじまるのでしょうか」とわくわくしてしまう。

その後、予想通りいかにも胡散臭いインド人に声を掛けられ、無邪気にニコニコついていったホテルは想像以上に快適で格安だった。

心と体、人生について、またひとつ学んだ按摩師甚五郎。




ほぼ実話。
実際は20年ほど前、ぼくたちカップルと友人カップル4人でやったゲーム。
宿がぜんぜん見つからなかったハイシーズンのインドで、サクッと2カップルとも快適な宿をゲットしたという面白い経験。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/08/30

「按摩師甚五郎」(ショートショート)

「按摩師甚五郎」 F氏の時間

そろそろ日曜朝、NHK-FM「名演奏ライブラリー」の時間。
コンポのスイッチをCDからラジオに切り換える。

ピンポーン。
予約時間通りに入り口の呼び鈴が鳴り、「おはよう~!甚五郎く~ん!」という声。
近所中に響きわたる気持ちのよいバリトン。この時間は音大の先生F氏の時間だ。
「体がゆるむと声の響きがまったく違うんだよ。按摩は実に素晴らしいね。」と毎週やって来る。

二人でお茶を飲みながら、まずはラジオから流れる名演奏に耳を傾ける。
F氏はいつも音の世界にどっぷりと浸り切る。
そんな人と共に聞く音楽は、いつもとはまったく異なり、艶々とした広がりのあるものになる。
「感覚だけではなく、感性もまた共鳴するのです。」
甚五郎は毎回しみじみと思う。

「甚五郎くん、ここで若者は恋に落ちるんだ。そう、世界はバラ色に輝く。木々も花々もキラキラと輝き……、素晴らしいねえ!」
今日はオペラの名演奏。
イタリア語なのか、甚五郎には歌詞の意味はまったくわからない。
それまでの明るい曲調から一転。
「あぁ、彼女は逝ってしまった。何故なんだ・・・。どうして逝ってしまたんだ!」
どうやらそういう展開のようだ。
「母さん、許しておくれ。ぼくも彼女の後を追うよ。彼女のいない世界は・・・。」

ひとしきり浸った後で甚五郎は尋ねる。
「この曲はそういう歌詞だったのですか。」
「ん?違うよ、甚五郎くん。音楽はねぇ、自分で世界を、ストーリーを作るんだよ。」
「・・・なるほど。世界は自分で作るのですね。」と、どこか曖昧としながらもストンと腑に落ちる甚五郎。

F氏が入室してから数十分後、ようやく按摩の施術が始まった。



昔書いた日記を、甚五郎というキャラクターを主人公にショートショート風にしてみました。
けっこう楽しいので、このシリーズでまた書いてみたいかも。

仮想通貨モナコインの投銭が出来る掲示板「AskMona」内「自作の短歌を書いていく6」トピックに投稿したものです。
「AskMona」や仮想通貨の使い方、遊び方の記事も掲載している短歌&仮想通貨モナコインマガジン「もな歌」(製作担当:puru)の製本雑誌版販売終了を受けて、現在PDF改訂版(A4,88頁)を無料配布しています。
詳細は公式サイト「創作ひろば もな歌」をご覧くださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/07/09

古法按摩の摩(な)でる技

古法按摩の最大の特徴は「摩(な)でる」手技にあります。

按摩の古典「導引口訣鈔」に出てくる手技の半分以上が「摩で」「摩づ」であり、場所によっては「百返」も「数十返も摩す」、「横にも縦にも、すじかいにも専ら摩する事」などとあります。

また、同じく按摩の古典「按腹図解」には、「調摩の術」として「其の部位を重からず軽からず、疾(はや)からず遅からず、肉理(にくすじ)に循(したが)いて数回(いくたび)も調摩循撫(じゅんぶ)するなり」とあり、こちらも「摩でる」手技が多く見られます。

古法按摩マニアとしては、なんとかこの「摩でる」技を自分の仕事にも取り入れたいのですが・・・。
そこはそれ、「揉む」技中心の現代按摩に、軽く「摩でる」だけの手技を導入するには、けっこう勇気が必要だったりします。
慣れ親しんだ「揉む」技には確かな「手応え」が感じられる訳ですが、皮膚の上を撫でさするだけの手技には、急にはその「手応え」が感じられない訳で。
ひとまず、数年前からは、治療の終盤にうつ伏せで体全体を撫でる技を導入。
体表の感覚を「流す」感じで、けっこう手応えも感じつつ行えるようになりました。

ところで、今年4月あたりから「按摩の歴史」を書き始めたのですが。
いろいろな資料を読み返しつつ「導引口訣鈔」や「按腹図解」も読み返し、独り按摩としてこの「摩でる」技を試みはじめ。
意外にもかなり効果的であることを実感。
自分でその効果が実感できれば、実際の治療に当たっての「手応え」も得やすくなります。

というわけで、1、2ヶ月前から、そろりそろりと治療の中にも「摩でる」を導入。
治療の終盤にベットに腰掛けてもらい、頭から首、肩、鎖骨周辺、腕、背中、腰、足へと撫でてます。

特に、頭に対しては、指の腹で撫でるのではなく、指を立てた状態の爪先で撫でる感じ。
これは昔、インドで仲良しだったマッサージ爺さんの技。

インド由来の頭皮マッサージも含めて、今後も古法按摩の技を試みていくつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/07/07

Amazonで「按摩資料としての『鬼貫論』」を無料販売開始

Amazonの対応はけっこう素早いです。
出版申請から承認されるまで、今回は数十分。
その後、楽天ブックスで無料販売している旨を添えて、問い合わせから無料販売のお願いをした所、数時間で「0円」になりました。

Amazonでの「按摩資料としての『鬼貫論』」無料販売は以下からどうぞ。

〔復刻〕按摩資料としての『鬼貫論』

【目次】
はじめに
『鬼貫論』導引鬼貫 より
 ・導引術史大略
 ・導引術諸家
 ・「古今導引集」大久保道古
 ・「導引口訣鈔」宮脇仲策
 ・澄相公・大久保道古・鬼貫の系譜 : 嘯山
 ・導引鬼貫の弟子、稲本梅門
 ・導引を記さぬ鬼貫
 ・鬼貫の導引修業時期
 ・鬼貫と師道古との交流
 ・導引の技倆
 ・鬼貫窮迫説
 ・俳諧と導引の関係
 ・附記、梅門に就いて

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/06/29

Kindle版「按摩の歴史」ついに出版!

というわけで、自著「按摩の歴史 Japanese Traditional Massage」をAmazonにて販売開始しました。
ただのお調子者が電子書籍とはいえ本をお気軽に出版出来るとは、なんとよい時代になったのでしょう。

昨晩からAmazonで335円で販売しているのですが、まだ買わないでね。(って、買う人いなさそうだけどw)
もし万が一にも興味ある方は、明後日7月1日(金)午後5時~4日(月)午後5時まで無料キャンペーンを実施しますので、その時に是非無料でゲットして下さいませ。

Coverthum

按摩の歴史 Japanese Traditional Massage (Amazon)

以下が目次です。

「按摩の歴史 Japanese Traditional Massage」
・日本の按摩とは ~中国伝来の按摩 現代日本の按摩 開国以後の日本の按摩
・大宝律令 ~『大宝律令』職員令 『大宝律令』医疾令 『大宝律令』の按摩
・江戸時代以前の按摩 ~少彦名、足名稚、手名稚@ 『古事記』『日本書紀』 腹とりの女@ 『栄花物語』 腹などとる女@ 『枕草子』 御足などうたせ@ 『栄花物語』、御あし給う@ 『宇治拾遺物語』 足力@ 『福富草紙』
・按摩の故郷、~江戸時代 按摩さんのいる風景:俳句・小説 按摩さんのいる風景2:浮世絵 按摩さんのいる風景3:喜多院「五百羅漢」 盲人按摩史 按摩の笛 江戸期按摩書籍
・江戸時代までの参考資料 ~『嬉遊笑覧』に見る按摩さん 『古事類苑』に見る按摩
・古法按摩 ★ 杉山流、★ 吉田流、★ 大久保流 ~★ 杉山流按摩 ★ 吉田流按摩 ★ 大久保流按摩
・明治時代の按摩さん ~明治36年『横浜繁昌記』横浜新報社著作部編 明治45年『熊谷百物語』酒井惣七 著 埼玉新報社
・昭和の按摩 ~家庭の按摩 昭和のとある按摩伝承
・あとがき ~著者プロフィール puru製作既刊電子書籍

あまり需要のない内容だと思われますがw、一番の読者である本人はかなりご満悦です。
自分が読むために作ったような本ではあります。

数日後には「按摩史料としての『鬼貫論』」という、こちらは最初から無料販売予定の昭和初期に出た著作権保護期間が満了した本の復刻版を出します。
Amazonで無料本を出すにはちょっとした技が必要のようで、うまく無料販売できるとよいのですが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/06/05

「現代語訳 導引口訣鈔」レビュー

和久田哲司/訳「現代語訳 導引口訣鈔」(\2,160)が到着。
販売サイトやレビューを見ても、今ひとつ本の内容が掴めなかったのですが、参考資料として試しに購入。
購入前には「1.原書の現代語訳のみ」と「2.原書の現代語訳+手技&語句等の解説」のふたパターンを想定していたのですが、結果は前者でした。

「現代語訳 導引口訣鈔」は「現代語凡例」に従って原文を現代語訳したもので、原文から読み込もうと思っている方にはちょっと物足りないかも知れません。
「現代語凡例」は例えば
・「摩する」は「摩擦する」
・「摩転」は「摩擦して動かす」
など、当時の漢字からある程度想像できる範囲ですし、もちろん個々の漢字の意味を調べれば明らかになります。
もちろん、ひとつの資料としてとっても有益です。

ちなみに谷口書店発行、大黒貞勝著「導引口訣鈔 (附)按腹図解」を既に持っている方でも、大黒氏の現代語訳は原文に忠実というわけではないので、和久田哲司/訳「現代語訳 導引口訣鈔」を更に購入するのも吉だと思います。
ただ、大黒貞勝著「導引口訣鈔 (附)按腹図解」には導引口訣鈔原文コピー画像も掲載されているので、その原文も参照している方でしたら「現代語訳 導引口訣鈔」は物足りないかも。

また、導引口訣鈔原文は京都大学附属図書館で公開されています。
「導引口訣鈔」京都大学附属図書館所蔵 富士川文庫セレクト

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/05/25

按摩資料としての「鬼貫論」

「鬼貫論」来たーーーっ!

160525

というわけで、待ちに待った古書「鬼貫論」がやっと到着。
昭和19年発行の俳人、鬼貫(おにつら)の研究書。

鬼貫という名前ははじめて聞いた(わけでもなかったのは後に判明)のですが、何やら「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されるほど当時では芭蕉に次ぐ俳人だったとか。

近代デジタルライブラリーにある「古今導引集」の転刻をしていて、判読しづらい漢文(白文)をネット上で検索していたら、なんと探している漢文を返り点つきで掲載している本があり、それが山崎善好/著「鬼貫論」なのでした。
「やたっ!ネット時代は有り難い!」と喜んだのもつかの間、そこには更なる驚きが・・・。

按摩の古典としては今ひとつ重きを置かれていない「古今導引集」(漢文)の著者は、明から渡ってきた澄相公という人から導引按蹻を伝授された大久保道古。
その後、大久保道古の弟子である宮脇仲策により「古今導引集」を元とした仮名交じり文の「導引口訣鈔」が出版。
按摩の古典としてはこちらの方が圧倒的に有名だったりします。
そして、これまでこの「古今導引集」~「導引口訣鈔」の系譜はこの両書の中だけで完結しており、大久保道古や宮脇仲策周辺のことが窺える資料はありませんでした。(少なくてもぼくの中では)

ところが、「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されたその鬼貫が、「古今導引集」「導引口訣鈔」の大本である大久保道古の弟子だったとは・・・。
鬼貫は25歳の時に「誠の外に俳諧無し」と大悟しその後も精進を続けたそうですが、そには導引師という背景も密接に関係していたはずです。
「鬼貫論」著者の山崎善好氏は「導引鬼貫」という章で、日本における按摩(導引)の歴史からはじまり、それまでは明らかではなかった導引師鬼貫に関する資料も探っており、按摩の資料としても貴重な書籍。

ところで、按摩の歴史を確認するために自分のホームページを漁っていたら、ありました、鬼貫導引に関する資料。
滝沢馬琴が諸国を遍歴した際に見聞した各地の伝記、墓誌、説話などを収録した「曲亭漫筆」。

曲亭漫筆 下 鬼貫が伝同導引(現代語訳)

鬼貫、姓を上島氏といい俗称は興総右衛門、槿花(きんか)翁と号す。
摂津の国は伊丹の人なり。
後に大阪に住み姓を平泉と改める。

はじめ俳諧を維舟および宗因に学び、後に一家をなす。
「鬼貫独言」、同句選など世に行われる。

元文三年(1738)八月二日、七十八歳にして没す。
伊丹墨染寺に墓あり。

浪速に滞在中のこと、或る人の話に、「鬼貫、ある時期は行わなくなったが、ひと頃は和州郡山侯の足軽などつとめ、その後大阪に住み、子供の導引などしてひっそりと暮らしていた。」という。

今なお大阪にて鬼貫導引として小児治療に足から上へも施す按摩の法がこれだ。

「鬼貫論」は国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧できます。
「鬼貫論」山崎善好/著:近代デジタルライブラリー

上記ライブラリー画像では、文字が判読不能だったりする箇所もあるので今回古書を購入したのですが、さすが画像ではなくて印刷物。
しっかり判読できます。
現在「古今導引集」は後回しにして「鬼貫論」中44ページある「導引鬼貫」を転刻中。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧