意訳 華嚴經(2)
華厳経 : 新訳
原田霊道 著
北斗書院
昭和11
国会図書館近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969452
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解説(2)
二
華嚴經は詳しくは「大方廣佛華嚴經」と云ひ、原名をマハーバイプラヤ ブッダ ガンダ ビユーハ スートラ(Mahavaipulya buddha ganda vyuha sutra)と云ふ。
西藏譯にはアバタムサカ(Avatamsaka)とし、ニポールの本はガンダビユーハ(Ganda-vyuha)となつている。
大方廣には種々の意義を含むも、要するに廣大無限の意味、佛は理想を示し、華は自性清浄の心(大宇宙の實體)を表はし、嚴は實行體現すること、故に「無限廣大の宇宙の實體を學行し、體現するみ敎」と云ふことである。
此經典の成立年代に就ては明確の知識をもつてゐない。
たゞ釋尊の滅後、五百年頃(西暦第一世紀)より盛に行はれた佛敎の復興運動に伴ふ產物であることは想像される。
釋尊の滅後、流を汲むものゝ情として遺法を重じた結果は、表面の規律に拘泥してその精神を忘れ、たゞ遺法の分析解釋を事とするに至つた。
次でこの佛説細分の結果は知識の分析を重じ、現象の分析論議によつて宇宙人生の總ての問題を解決し得る、ものとして、遂に佛敎の本質である成佛でさへ否定するに至つた。
これが哲學的にも宗敎的にも佛敎を偏狭に低級にした所謂小乗敎である。
此偏執を打破し、佛陀の眞精神を發揮せんが爲めに、大乗佛敎の復興運動は起り、而して幾多の經典論書の著述編纂は行はれたのである。
本經典の如きもその時代の偉大な佛敎の思想家が佛敎の本義を明かにせんとして、佛陀自覺の内容を開顯せられたものであらう。
此經の成立地に就ては支那翻譯の歴史より推論して、于闐(Khoten)と云はれてゐるが、于闐國の歴史及びその佛敎を語る唯一の權威である西藏文于闐國史(西紀一一八三の著述)には、何等華嚴に關する記述を見ない。
果たして何處にて成れるや淺學の身の知るよしもない。
三
華嚴經の支那翻譯は佛敎が傳はつて(西紀六七)間もなく、支婁迦識(翻譯期間西紀一四七─一八六)によつてなされた經の「名號品」に當る兜沙經の譯出に始まる。
爾後數代に亘つて行はれ、賢首の「華嚴傳」(華嚴の歴史)には三十五部の多數が列擧してある。
然しこれ等は經の一章(品)又は一部分の抄譯で、完本ではない。
その現に存するものゝみが、二十四部もある。
いまは煩を避けて華嚴經の中心をなす「十地品」と「入法界品」との異譯を擧げよう。
漸備一切智徳經 五 卷(十地品) 西晉 竺法護
十 住 經 十三卷(同 上) 西晉 聶道眞
十 住 經 四 卷(同 上) 後秦 鳩摩羅什、佛陀耶舎
佛説 十地 經 九 卷(同 上) 唐尸 羅達摩
羅 摩 伽 經 三 卷(入法界品)西秦 聖堅
文殊師利發願經 一 卷(同 上) 東晋
大方廣佛華嚴經入法界品 一卷(同上)唐 日照
華嚴經普賢行願品 四十卷(同 上)唐 般若三藏
普賢菩薩行願讃 一 卷(同 上) 唐 不空
完本の譯出は前後二囘のみである。
一、大方廣佛華嚴經 六十卷
北天竺の人、佛駄跋陀羅 Buddhabhadra─覺賢(西紀三五九─四二九)が、楊都道場寺に於て、義凞十四年三月(四一八)に業を始め、元凞二年六月(四二○)に譯了した。
二、 同 八十卷
于闐の人、實叉難陀 Siksinanda─學喜(西紀六五二─七一○)が京都大遍空寺に於て、唐の證聖元年三月(六九五)に譯を始め、聖暦二年十月(六九九)に了る。
前者を「六十華嚴」、又は「晋經」と云ひ、後者を「八十華嚴」、又は「唐經」と云ふ。
「四十華嚴」と云はるゝものは支本で、前に掲げた「入法界品」の異譯中、般若三藏譯の「華嚴經普賢行願品」を指し、完本ではない。
これをまた「貞元經」と云ひ、ニポール國の九部大經註の華嚴經はこれである。
華嚴經の原文としては今僅かに其一部分しか残つて居らぬ。
完全のものとしては十地品 Dsabhumisvara と「入法界品」Gandavyuha 丈で、それに後者の結文である六十二頌の「普賢行願賛」 Bhadracari pranidhana が單行本として現存して居る。
然し一部分としては「賢首品」の大部分の偈頌が「大乗集菩薩訡」 Siksa Samuccaya の中に引用されて、原文の俤を窺ふことが出來る。
此等原文の古寫本は、パリの國立圖處館や英國の皇立亞細亞協會文庫、ケムブリヂ大學文庫、カルカツタ亞細亞協會書庫等に多數珍藏され、就中英京亞細亞協會藏の「行願品」梵本は、西暦十世紀頃の書寫で非常に有名なものである。
吾國にも東京及び京都の大學に高楠榊兩敎授の盡力で此二品の梵本が備へられるに至つた。
西藏藏經の經部に於ても此經の譯本が、該部第三門 Phal-chen として六凾二千二百葉の浩澣な大冊となつて收められて居る。
新譯華嚴(等經)の三十九品に對し四十五品の分章であるから、内容は多少增減があることが分らう。
四
同じく完本なるに、晋經は六十卷三十四章、唐經は八十卷三十九章より成り、兩經の卷帙、章品に相違がある。
また説法の會場に就ても前者は八會なるも、後者は九會である。
これは唐經は晋經に於ける盧遮那品の一章を五章に開き、更に「十地品」の次に「十定品」の一章を加ふるが故に晋經に比して五章を增加し、また十定品の始めに「普光明殿に於て」とあるによつて、以下の十一品を十地品と別の一會として、九會とするのである。
今六十卷の經によつてその組織を概觀しよう。
本經典は説法と云はんよりも、佛陀の自覺の内容を戯曲的結構をもつて、表現したものである。
その結構は八場より成り、一場毎に主人公を異にしてゐる。
いま此れを圖示すれば
第一場 寂滅道場 二 章(世間淨眼品、盧遮那品) 普賢
第二場 普光明殿(一) 六 章(名號品、四諦品、光明覺品、明難品、淨行品、賢首品) 文殊
第三場 忉利天宮 六 章(須彌頂品、妙勝殿説偈品、十住品、梵行品、初發心功徳品、明法品) 法慧
第四場 夜摩天宮 四 章(夜摩天宮自在品、夜摩天宮説偈品、十行品、十無盡藏品) 功徳林
第五場 兜率天宮 三 章(一切實殿品、菩薩讃佛品、十囘向品) 金剛幢
第六場 他化自在天宮 十一章(十地品、十明品、十忍品、阿僧祇品、壽命品、住處品、不思議品、相海品、小相品、普賢行品、如來性起品) 金剛藏
第七場 普光明殿(二) 一 章(離世間品) 普賢
第八場 重閣講堂 一 章(入法界品) 善財
説會としては、かく八場なるも、普光明殿は二囘、使用されてゐるから、所としては七處で、これを人三天四の七處と云ひ、通常、華嚴經の説相を、晋經は七處八會、唐經は七處九會と云はるゝ所以である。
各場に活躍するあまたの人物は、悉く佛陀盧遮那(釋尊)の性能を人格化せるもので、當然、盧遮那佛に統一せらるべきものである。
故に表面殆ど佛陀の活動と見られないが、その背景には恒に法身盧遮那佛が活躍してゐる。
それは經典の一の事件を叙するに、必ず「佛の神力(みちから)を承けて」と云ふによつても、用に首肯されよう。
また人界より天界へと、場面の變化し行くのは、無限に眞實を求めて止まぬ向上心の進展を表現するものである。
五
各章の梗概と前後の關係とは、その章の始めに簡短ながら述べたから省略して茲にはたゞ一經の歸結に就て一言しよう。
第一場は佛陀の正覺成就に由つて宇宙は新しき生命を得る卽ち宇宙を擧げて佛陀だるの相を明かにし、第二場には信仰を讃へて發心求道を勤め、第三場には理解の法を説き、第四場には實行を、第五場には一切の行爲の統一囘向を述べ、第六場には眞證の生活を明にし、第七場には信仰理解、實行、囘向、眞證の内容を再び概説し、第八場には此等の聖者の學道を體現する善哉童子の急送の旅が叙してある。
乃ち要は信解行證の四に概括される。
此叙述は淺深次第して絕對に對する吾々の向上進趣を明かにするものである。
華嚴經が單なる哲學として觀念の遊戯に終るならば止まんも、常に宇宙萬象をあげて仏陀たるの實感を主張し、發心求道の現實生活に正覺の圓現を期する華嚴經にては更に一歩を進めねばならぬ。
絕對と吾人との合一は唯信仰の體現にある。
故に「入法界品」の最後に、自他の無限の向上を永劫に念願し、修業する本願佛たる阿彌陀佛に歸依すべきことを敎へたるは實に華嚴經に千鈞の重きを加ふるものである。
これ宗敎の實践としては此經を逆觀せよと主張さるゝ所以である。
かくて信解行證の四は遂に自己の眞實求道の一心に歸結さるべきである。
眞實求道の一心は内的には仏陀の自覺、仏陀の自覺は現はれて宇宙の萬象となる。
卽ち自他一切の差別、あらゆる隔歴不同を去り、自他相依り相助けて各々その生を完ふする渾然たる一體としての大自然の活動、これが吾が一心となり、佛陀とならねばならぬである。
寸時の撓みもなく、無限に自他の向上を念願し、實行する此志願は、やがて、阿彌陀佛が一切の生類を攝取し盡さんとする本願である。
實に此無限向上の學道こそ、萬有の永遠不滅の生命である、宇宙の本性である。
茲に理想と現實との一致がある。
萬有の協調偕和する法界の風光を掬するものは、そこに偉大な力を感じ、報恩感謝の無私の活動が現はれる。
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