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2016/09/10

「按摩師甚五郎」 4(ショートショート

「按摩師甚五郎」 ゲーム(3)

「お花畑なポエマー」。甚五郎は姪の萌菜(もな)が言った言葉を思い出していた。
「お花畑の詩人・・・。そういう生活もよいですね。」
などと夢想していると、視界の端で人影が動く。見ると、治療室の窓からこちらを覗き、手を振っている萌菜の笑顔。

「さ、て、と。 "開くと願えば世界は開くのさ" みたいなお花畑っぽいお話しの続きね。ちゃんと続きがあるんでしょ?」
「いえ。あれがすべてです。」
「え~!? "私は世界に開いている"って考えるだけじゃ何も変わらないでしょ? 体とも関係ないし。」
「はい。考えるのではなくて、感じなくてはいけません。」
「感じるって?」
「そうですね。治療室の周りの風景を眺めて、その風景全体を感じてみるとよいです。萌菜子、いや、萌菜さんがその風景全体に包まれていると、全身の肌で感じてみて下さい。なんとなく "感じてみようかな" 程度でよいですから。」

「・・・。あれ? なんだか、体が広がったような気がする。」
「それが "世界に開いている" または "開こうとしている" 状態です。」
「なんか不思議~。これ、何が起きているの?」
「現代人は特になのですが、私たちは普段主に "考え" や "頭" の中で生きています。そこで、体や感覚はおろそかになり閉じてしまいます。ですが、風景を感じようとした途端に閉じていた感覚が開くのです。」
「なんだかとっても風通しのいい感じ。これとは逆だけど。前に甚ちゃんが話してくれた、閉じている時は "体は重く行動力も鈍り、思考の幅や視野も狭くなる" っていうのもなんとなくわかるわ。」

「ところで、そうやって世界に対して開いていると、実は自分の内側に対しても開くことになります。」
「ん? 自分の内側って何?」
「心の奥、とでも言えばいいでしょうか。例えば萌菜さんが男の子を好きになる時、好きになろうと考えたから好きになるわけではありませんよね。」
「そりゃそうよ。なんだか知らないけど好きになっちゃったり、ビビっと来たりするんだもん。」
「そういう想いが生じてくる所が自分の内側だと思って下さい。そこから生じて来るのは恋だけではなくて、何かに対する興味や好奇心もそうです。」
「・・・。そっか。興味や好奇心も、出そうと思っても出て来ないわね。自分の中から自然に湧き出してくる・・・。へぇ~。」
「興味深いと思いませんか? そうして湧き出して来るものは、非常に個性的でバラエティーに富んでいます。しかもそれは人の思惑を超えた次元からやって来ているのです。」
「面白~い。お花畑から今度はSFっぽくなってきたわね。」

……(続く、と思う)

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「按摩師甚五郎」 3(ショートショート)

「按摩師甚五郎」ゲーム(2)

「・・・と、インドでそんな興味深い経験をしました」。
「ふ~ん。甚ちゃんはラッキーだったのね。」
時々治療室に遊びに来る姪の萌菜(もな)が素っ気なく答える。

「はい、とてもラッキーでした。あのゲームのアイデアがやって来たことで、世界に対する自分の緊張に気づけましたから。」
「ホント、いいホテルが見つかって良かったね。」
「はい、それもとてもラッキーでした。望んでいたことが想像以上の形で現実化したのですから。世界は人の思惑を超えたものを用意してくれます。」
「・・・よくわかんないけど。思っていたものよりジャストフィットなお部屋だったのね。」
「はい! そういうことです。やはり萌菜子さんは賢いです。」
「もう! だからぁ。私の名前に子はつかないの! なんかお年寄りみたいでしょ!?」
「お年寄りは嫌いですか?」
「そこじゃなくって!」

「で! さっきのお話しは、世界とか緊張とかとどう関係があるの?」
「誰か、または何かに対して身構えていると、私たちは外界から身を守るために体を緊張させます。」
「でも、それってそう考えてる時だけで、いつもじゃないんでしょ?」
「いえ。そういう想いがあると無意識ではありますが常態化するので、その緊張は体の凝りになります。」
「凝りって・・・。体がカチカチになっちゃうの?」
「体が外界に対して開かれていると、皮膚はつきたての餅のように瑞々しいです。ですが、閉ざした途端皮膚の流れが澱んで弾力がなくなります。極端にいえばウェットスーツを着込んだような。そういう状態も凝りと呼びます。」
「うぇ。なんかすご~く気持ち悪そう。」
「はい。身は守れますが、遮断されているので外界をリアルに感じることが出来ません。体は重く感じられ行動力も鈍り、思考の幅や視野も狭くなります。」
「嫌だぁ~。そういうの。」
「極端にいえば、ということですが、澱み方の程度によりその傾向は強くなります。」
「じゃあ。その"世界に開いてる"だっけ? どうしたらそうなれるの?」
「はい。"私は世界に対して開いている"と思うとよいです。」
「・・・なんかさ。甚ちゃんって見た目ゴツイけど意外とお花畑なポエマーよね。でも嫌いじゃないわよ、そうゆうの。」

……(続く)

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2016/09/04

「按摩師甚五郎」 2 (ショートショート)

「按摩師甚五郎」 ゲーム

「なかなか見つかりませんね・・・。」
リキシャを降りた甚五郎は、インドの強い日差しを浴びながらつぶやいた。この町に着いたのは早朝だが、既に太陽は中天でご機嫌に燃えている。

インドはこれで3度目。瞑想アシュラムがあるこの町には、延べでおよそ一年間滞在したことがある。長期滞在する時は、月極めでインド人宅のゲストルームを借り、そこからアシュラムに通う。だが、今回は2週間ほどの短期滞在なので、アシュラム周辺のホテルを探すことにした。土地勘はあるので心当たりのホテルを回ってみるが、この地域のハイシーズンらしくどこにも空室はない。

インドの町を歩いていると、よく見知らぬインド人に「ジャパン、安くていいホテルがあるぞ」と声を掛けられる。彼等は外国人に正規より高い値段でホテルを紹介し、ホテルから紹介料を貰っている人たちだ。特に日本人は断れない人々なので、彼等の格好のカモになる。

馴染みの屋台でチャイを飲みながら、ふと面白いアイデアが浮かんで来た。
「これもまた瞑想になるかも知れませんね。」

チャイを飲み終え、通りに出る。
「さて、"インド人の言う通り"ゲームのスタートです。」
いかにも紹介料稼ぎのインド人に声を掛けられても、ニコニコ微笑みながら「オーケー」と身を任せるつもりの甚五郎。

一度深呼吸をし、甚五郎はこの町に、すべてのインド人に心を開いてみた。

すると、お馴染みのインドの町が、より親しみを増し優しく開いたように見える。
「世界を狭くしていたのは私でしたか」と苦笑しながら歩き出す。
自分がいかにこの町やインド人に身構えていたのかをはじめて知った甚五郎。無駄な身構えを手放してみると、なんだか素敵な予感に包まれる。「さあ、これから何がはじまるのでしょうか」とわくわくしてしまう。

その後、予想通りいかにも胡散臭いインド人に声を掛けられ、無邪気にニコニコついていったホテルは想像以上に快適で格安だった。

心と体、人生について、またひとつ学んだ按摩師甚五郎。




ほぼ実話。
実際は20年ほど前、ぼくたちカップルと友人カップル4人でやったゲーム。
宿がぜんぜん見つからなかったハイシーズンのインドで、サクッと2カップルとも快適な宿をゲットしたという面白い経験。

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