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2016/05/14

「導引口訣鈔」との違い:「古今導引集」を読む2

舜禹(シュンウ)の撫民や天性に任ずるなり。
䟽河(ソカ)水勢に随(シタガ)うなり。

・意訳
黄帝に続く堯舜禹が民をいたわる理想の治世を行ったのも天性にゆだねていたからだ。
川が水の勢いに従って流れを変えていくように、万物の生成変化は天地陰陽がお互いに接し触れ合うことによって生じる。

嬰児若きに至って傷(ヤマイ)に逢えば即ち之を捖捺す。
禽獸悩みあれば則ち之を抓揲(ソウセツ)す。
是れ皆強からずして之を為す。
自然に出で私意を加えざるなり。
大なるかな至れり。
万民に邪を除き苦みを救うを教うる所以。
 ※捖(かん):1.刮:けずる。えぐる。なでる。2.打
  捺(なつ):おす、おさえる。
  抓(そう):1.つまむ、つかむ。2.かく、ひっかく(=掻)。
  揲(せつ):1.用例)揲蓍(筮竹をとる)。2.取る。

・意訳
幼い子供が怪我をした時、誰に教わることもなくこれを撫で抑える。
動物もまた患いがあればこれをひっかき払う。
これらはみな決して強いてなしているではなく、考えることなしにごく自然に行っている。
生はこのようにして完うされる。
これこそが私が教える所の万民から病を取り除き苦しみを救う方法だ。

養生身を護り延齢久しく視るは導喬の術に能う莫(な)きか。
竊(ヒソ)かに視るに経の文。
-黄帝-問うて曰く、或は導引有り行気、喬摩、灸熨(きゅううつ)、飲薬の一を独り守るべきや、将に盡く之を行うか。
天師答えて曰く、諸の方は衆人の方なり一人之を盡く行う所に匪ざるなり、此れ乃ち所謂一を守って失う勿れ、万物畢(おわ)る者なり。
此を以て之を視るに導喬は治術の根本なり。
又-黄帝-曰く、気血を理(ワキ)まえ、順逆を調え、陰陽を察し活かして諸方兼ぬ。
緩節柔筋、而して心和らぐは導引行気せしむべし。
茲に由て之を顧みれば、天下の至精に非ざればその孰(いず)れか此と共によく能う。

・意訳
身を養う養生や長寿に至らしめるものは導引按摩の術の他にはないのだろうか。

黄帝内経霊枢、病伝第四十二に次のようにある。
黄帝曰く「導引行気、按摩、灸、鍼、飲薬などあるが、これらの中のひとつだけを学ぶべきか。またはこれら全てを行うべきか」。
岐伯(ぎはく)曰く「それらの方法は多くの様々な人々に向けたものなのです。ひとりですべて行うというものではありません」。
黄帝曰く「それがいわゆる〈一を守り失うことがなければ、万物に悉く通じた者となる〉ということか」。

ここで黄帝が最初に導引行気喬摩を挙げているのを見るに、導引按摩が治療術の根本だからだろう。

また、黄帝内経霊枢、官能篇第七十三には次のようにある。
黄帝曰く「言葉が穏やかで物静か、そして手先が器用で心が繊細な者には鍼灸を行わせるべきだ。気血を理解して順逆を調え、陰陽を察することで他の諸々の方法を兼ねさせなさい。関節を緩め筋を柔らかくすることで心が和らぎ調う者には導引行気を行わせなさい。」

このことから思うに、世間で特別に純粋な者でなければ、諸法からひとつを選び完うする者はないだろう。


・メモ
「古今導引集」では所々に古典からの引用がありますが、前後の文章があった方が分かりやすかったり、若干漢字や言い回しが異なったりする箇所もあるので、出典が確認できるものは出典名を明確にしています。

それにしても、黄帝の「導引行気、按摩、灸、鍼、飲薬などあるが、これらの中のひとつだけを学ぶべきか」以下3行から「此を以て之を視るに導喬は治術の根本なり」と断じるのはちょっと唐突過ぎるかも。(^^;
一応「導引口訣鈔」にも同様の文章があり、そちらでは『導引を最初にいへるは、療術の肝要たる故なるか』と断定ではなくてちょっと柔らかい言い方。
意訳ではこちらを参考にしました。

また、「霊枢」官能篇第七十三の引用後の「天下の至精に非ざればその孰(いず)れか此と共によく能う」もちょっと唐突に思います。
この下りも「導引口訣鈔」の方が文章としては圧倒的にスマートです。

また黄帝曰く、気血をおさめて而も諸々の逆順を調え、陰陽を察して而も諸方を用い、節を緩げ筋を柔らかにす。
而して心和利なる者の導引行氣せしむべしと言う。

右の文意を考うるに、智能全く備わり醫道の根元に通達し、兼ねて諸道を明らかにし心躰共に和順なる人を撰んで訓おしえべきとなり。
浅き智恵にては専門に至りがたし。
不學無能にして奥義を究めず。
妄りに行わば、小刀細工なり。
此の道の宗匠と云いがたかるべし。
  「導引口訣鈔」按摩人を選ぶの訓 より

ひょっとしたら、ぼくが依拠している京都鍼灸振興会刊の「古今導引集」が白文写本を更に読み下し写本したものなので、文字や文章が抜けている可能性もなきにしもあらず・・・。

ちなみに、大久保道古/著「古今導引集」は1707年。
大久保道古の弟子である宮脇仲策/著「導引口訣鈔」は5年後の1713年に出版されています。
それにしても、「導引口訣鈔」は「古今導引集」の力わざ的強引な文章をスマートでこなれた文章に補完修正していると感じます。

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