按摩資料としての「鬼貫論」
「鬼貫論」来たーーーっ!
というわけで、待ちに待った古書「鬼貫論」がやっと到着。
昭和19年発行の俳人、鬼貫(おにつら)の研究書。
鬼貫という名前ははじめて聞いた(わけでもなかったのは後に判明)のですが、何やら「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されるほど当時では芭蕉に次ぐ俳人だったとか。
近代デジタルライブラリーにある「古今導引集」の転刻をしていて、判読しづらい漢文(白文)をネット上で検索していたら、なんと探している漢文を返り点つきで掲載している本があり、それが山崎善好/著「鬼貫論」なのでした。
「やたっ!ネット時代は有り難い!」と喜んだのもつかの間、そこには更なる驚きが・・・。
按摩の古典としては今ひとつ重きを置かれていない「古今導引集」(漢文)の著者は、明から渡ってきた澄相公という人から導引按蹻を伝授された大久保道古。
その後、大久保道古の弟子である宮脇仲策により「古今導引集」を元とした仮名交じり文の「導引口訣鈔」が出版。
按摩の古典としてはこちらの方が圧倒的に有名だったりします。
そして、これまでこの「古今導引集」~「導引口訣鈔」の系譜はこの両書の中だけで完結しており、大久保道古や宮脇仲策周辺のことが窺える資料はありませんでした。(少なくてもぼくの中では)
ところが、「東の芭蕉、西の鬼貫」と称されたその鬼貫が、「古今導引集」「導引口訣鈔」の大本である大久保道古の弟子だったとは・・・。
鬼貫は25歳の時に「誠の外に俳諧無し」と大悟しその後も精進を続けたそうですが、そには導引師という背景も密接に関係していたはずです。
「鬼貫論」著者の山崎善好氏は「導引鬼貫」という章で、日本における按摩(導引)の歴史からはじまり、それまでは明らかではなかった導引師鬼貫に関する資料も探っており、按摩の資料としても貴重な書籍。
ところで、按摩の歴史を確認するために自分のホームページを漁っていたら、ありました、鬼貫導引に関する資料。
滝沢馬琴が諸国を遍歴した際に見聞した各地の伝記、墓誌、説話などを収録した「曲亭漫筆」。
曲亭漫筆 下 鬼貫が伝同導引(現代語訳)鬼貫、姓を上島氏といい俗称は興総右衛門、槿花(きんか)翁と号す。
摂津の国は伊丹の人なり。
後に大阪に住み姓を平泉と改める。はじめ俳諧を維舟および宗因に学び、後に一家をなす。
「鬼貫独言」、同句選など世に行われる。元文三年(1738)八月二日、七十八歳にして没す。
伊丹墨染寺に墓あり。浪速に滞在中のこと、或る人の話に、「鬼貫、ある時期は行わなくなったが、ひと頃は和州郡山侯の足軽などつとめ、その後大阪に住み、子供の導引などしてひっそりと暮らしていた。」という。
今なお大阪にて鬼貫導引として小児治療に足から上へも施す按摩の法がこれだ。
「鬼貫論」は国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧できます。
・「鬼貫論」山崎善好/著:近代デジタルライブラリー
上記ライブラリー画像では、文字が判読不能だったりする箇所もあるので今回古書を購入したのですが、さすが画像ではなくて印刷物。
しっかり判読できます。
現在「古今導引集」は後回しにして「鬼貫論」中44ページある「導引鬼貫」を転刻中。
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