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2014/11/27

華厳経の写経(テキスト化)をはじめてみた

最近「華厳経」にハマってます。
とはいえ、華厳経って60巻ものと80巻ものがあるらしく、直に経典に当たるのも無謀かと思われ。
取り敢えず文庫本の解説から読みました。

無限の世界観「華厳」―仏教の思想

一度通読して現在2回目。
あまりに膨大な世界で、「華厳経ってこんなお経だよ」とかぜんぜん説明できない。
アウトラインさえ理解していない。(^^ゞ

なんとなくな理解では、華厳経はブッダの悟りの内容を現したものらしい。
この大宇宙はブッダそのものの顕れであり、この地球も地上の万物も、こうして生きているぼくたちも、そのブッダの顕れである、と。
この存在自体がブッダの表現であり、ブッダでないものなどひとつもなく。
歓びや美しさとともに苦痛や醜さも含む、多様性に富んだ有機的統一体としての存在、大宇宙。

そのブッダの悟りの内容を体得していくプロセスが描かれているという華厳経。たぶん

経典の内容には「おお、すげえ!」という文章がいっぱいあるにもかかわらず、論理的にはぜんぜん掴めてない。
解説本2回目なのに。

というわけで、困った時の国会図書館デジタルライブラリー。
探してみたらありました、「意訳 華嚴經」。

はじめの方を読んでみたらかなり面白いので、これは読み返す時のことを考えてもテキスト化しておくのが吉だな、というわけで、ぼちぼち写経テイストにテキスト化を進めています。遅々とした歩みだけど

少しまとまった量になったらアップすることにし、今日は目次と解説の頭まで。


華厳経 : 新訳
原田霊道 著
北斗書院
昭和11
国会図書館近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969452
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凡例

一、華嚴經は佛敎の經典の中で、最も浩澣なもので、然も殆ど象徴寄顕顯の表現形式をもつて終始してゐるから、その歸趣捉へにくい。
卒然としてこれに接する時は、荒誕無稽夢物語を見るの感がある。
然し精讀沈思一たびその表現せんとする經の原意に觸るれば、その雄大な結構と高遠な哲理と深刻な宗敎的體驗とに思はず、驚異の眼を睜るであらう。
今釋する處は量に於て二十分の一にも足らず、たゞ結構梗概を述ぶるに止まつて、殆ど中心の思想さへ現はし得ないことを心から遺憾とする。
一、本書は「六十華嚴」に據り、「十地品」を中心として、前後の各章は同品の内容を補ひ、一經の梗概結構を示す程度に、極めて大膽な抄譯を行つた。
故に「十地品」は前文を繰り返す偈を除く他は、殆ど洩さず譯した。
「四十華嚴」の最後の一節は經の中心思想に重大な關係があると信じて、これを終りに附加しておいた。
一、觀察體驗の淺深精粗現はす三昧や、宇宙の実體即ち佛身を表現する種々の相を譯することを避けながら、無限無盡を表はす十數を、時に略するなど、態度の不統一は譯文の拙劣と共に、筆者自身も鮮なからず不滿足である。
一、本經典は一面、偉大な象徴文學で、言々句々に深大な意義を含ましてあるから、本書の如き形式が、經の精神を現はすに不適當であることは言ふまでもない。
筆者は自己のその器にあらざることを告白して、本書が玉を瓦としたことを衷心より慚愧してゐる。

本書に於ては文學博士椎尾辨匡先生が深い同情をもつて、種々御指導下さいました。
本書が幾分でも本叢書刊行の趣意に副ふところがあれば、それは總て先生の指導の賜である。
茲に謹で感謝の意を表する。

大正十一年二月
原田靈道 識


目次


解説

寂滅道場
 第一 世界の喜(世間淨眼品)
 第二 信仰の對象(盧遮那品)
     蓮華世界と普荘嚴童子

普光明殿會
 第三 佛陀の名稱(名號品)
 第四 四諦の命辭(四諦品)
 第五 佛の光明(如來光明覺品)
 第六 疑問の解決(菩薩明難品)
 第七 信仰の實際化(淨行品)
 第八 信仰の力(賢首品)

忉利天會
 第九 妙勝殿の集ひ(佛昇須彌頂品)
 第十 佛徳の讃頌(妙勝殿上説偈品)
 第十一 理解の階梯(十住品)
 第十二 發心と眞證(梵行品)
 第十三 求道の力(初發心功徳品)
 第十四 理解より實行へ(明法品)

夜摩天宮會
 第十五 體驗の生活(夜摩天宮自在品)
 第十六 體驗の力(菩薩説偈品)
 第十七 體驗の過程(十行品)
 第十八 體驗の内容(十無盡藏品)

兜率天宮會
 第十九 兜率天の集ひ(一切實殿品)
 第二十 佛徳の讃頌(菩薩雲集讃佛品)
 第二十一 囘向の生活(金剛幢囘向品)

他化自在天會
 第二十二 眞證の生活(十地品)
 序事
  魔尼殿の集ひ
  聖者金剛藏の靈徳
  正法の尊貴
  佛の加護

 一、入聖の喜(歓喜地)
  無限向上の覺道
  入道の喜び
  心地の淨化
  聖者の十大願
  布施の徹底
  眞證の第一相

 二、三業の淨化(離垢地)
  會衆の讃仰
  十種の眞實心
  十種の善道
  三乗の十善道
  十惡の止念より救濟へ

 三、眞相の達觀(明地)
  會衆の讃仰
  十種の深心と現象の達觀
  求法の熱誠
  八種の精神修養法
  眞證の第三相

 四、眞智の熾烈(焰地)
  會衆の讃仰
  十種の實體觀
  三十七科の修養法(三十七道品)
  精進の種々
  眞證の第四相

 五、靈徳の增勝(難勝地)
  會衆の讃仰
  現象の平等
  四種の眞理(四諦)
  敎化の手段
  眞相の第五相

 六、自由顯現(現前地)
  會衆の讃仰
  十種の平等觀
  萬有の生成觀(十二因縁)
  三種の自由境(三解脱門)
  眞證の第六相

 七、靈能の發揮(遠行地)
  會衆の讃仰
  十種の妙行
  諸地の比較
  無限の靈能
  眞證の七相

 八、無欲の活動(不動地)
  會衆の讃仰
  眞理の體得
  無慾の活動
  國土の淨化
  生類の淨化
  萬有即ち佛身
  智徳靈能の優越
  不動の名に就て
  眞證の第八相

 九、完全なる智慧(善慧地)
  會衆の讃仰
  敎導者の學行
  敎化の完全
  萬靈の大指導者
  眞證の第九相

 十、靈光洋々(法雲地)
  會衆の讃仰
  學行の成就
  佛位繼承の儀
  靈光洋々
  法雲の名に就て
  佛と聖者の靈能
  眞證の第十相
  海と山と魔尼寶珠
  聖者の證明

 第二十三 眞證の特能(十明品__住處品)
  十種の知力(十明品)
  十種の智體(十忍品)
  數量と得能(阿僧祇品)
  時(壽命品)
  處(住處品)

 第二十四 佛陀の聖徳(不思議品__小相品)
  佛のみすがた(如來相海品)
  佛の光明(佛子相品)

 第二十五 普賢の學行(普賢行品)
 第二十六 正覺の内容(性起品)

普光明殿會
 第二十七 普賢の復説(離世間品)

重閣講堂會
 第二十八 眞理證入の道(入法界品)
  祇園精舎の集ひ
  求道の旅


現代意譯 華厳経


原田霊道 譯著


解説


華嚴經は釋尊自覺の内容を明かにする經典である。
故に釋尊の成道を主題として成道後に二七日に菩提樹下寂滅道場を始め、七處に於てとかれたとするのは表現の一形式で、實は宇宙に遍滿して、時處に束縛せらるべきものではない、萬象はすべて華嚴經の内容を語るものである。

華嚴經の精神を最もよく發揮した賢首は、此の旨を明かにする爲めに、華嚴經に廣略六種の別(著書によつて異なる、今は「探玄記」に依る)を見て、その内容の廣漠なることを示した。
その始めの「恒本」は、宇宙を擧げて常恒不斷に佛の正覺を語るものとして、山川河海を悉く佛陀正覺の内容即ち華嚴經とするのである。
これが眞の華嚴經で、假りに文字にして表はして大本、上本、中本、下本、略本等とするも、その下本にしてなほ十萬頌もあり、支那に翻譯された吾々の手にする六十卷、八十卷の經は最後の略本であると。
もつてその内容を知ることが出來る。
この經典論は最もよく佛敎經典の本質を表はしたもので、華嚴經に限らず總ての大乗經典に就て論ぜらるべきことである。

華嚴經が宇宙の全的活動を内容とする佛陀の自覺を顯現するものとすれば、その内容は念々に擴大され、充實さるゝもので、決して六十、八十乃至十萬頌に限らるべきでものでない。
故に華嚴經は單に第一説法として、釋尊一代の敎説を該攝するのみでなく、未來永劫を盡して、人類救濟の指導たる思想は悉く佛陀の自覺として是れを包含するものである。

これ文字に表はし、口に述べるときは、その意義を限定するものであるから、これ等によつて無限の内容を説明することは出來ない。
此の意味は經典の至る處に現はされて、佛は一事項の説法を終る毎に、必ず「無量の時を費すも、遂に説き盡されない」と繰返してある。
故に吾々は華嚴經を讀み、これを體驗するに、「これぞ華嚴の内容、これぞ佛陀の自覺」なりと、限定的に思惟してはならぬ。
すべての經典は「恒本」華嚴經の片鱗隻影なりと思ふべきである。
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