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2012/12/21

マッサージのやり方:とっても当たり前な超基本編1

マッサージのやり方を、あまりにも当たり前過ぎる超基本的なことから書いてみます。
あまりにも当たり前なことなので、西洋的基礎医学的知識を詰め込まれた鍼灸マッサージ師には意外と知られていなかったり考慮されていなかったりする、そんなことから。


体という場

多くの初心者やマッサージが下手な人は、マッサージをする対象部位を物質、物体として見、認識しています。

確かに人体は、客観的に見れば物質、物体としての側面を持っています。
ですが、自分の体はどうでしょうか。
物質としての体だけを切り離すことは出来ませんよね。
肉体という有機的な場に、思考や感情、気分、感覚をともなう主観的"私"が溢れているもの、それが人の体なのだと思っています。

例えば片手を誰かに掴まれたとして、それは「"私"は手を掴まれた」ということであり。
そこで起こった出来事は、「"私"の構成要素である物質的肉体の片手が他人に掴まれた」ということではなくて。
「"私"が掴まれた」という出来事になります。
体は部分も含めてすべて"私"なんですよね。


触れること

さて。
最初に「多くの初心者やマッサージが下手な人は、マッサージをする対象部位を物質、物体として見、認識しています」と書きました。
初心者やマッサージが下手な人は、誰かの腕を持つ時に「物」を掴むように能動的に掴みます。
持つ手は、(無意識に)物体を掴む状態に適応させて少し硬く緊張し、指先主体で掴むように持ちます。

Mass006

人が、相手の人の体を、物を掴むように持つ。
人格ある人としてではなく、物として扱う。
そこでは、極端に言えば(ぜんぜん極端じゃないんですけど)そういうことが起こっています。

熟練したマッサージ師は、体の部分部分も"その人"として、信頼と尊敬の念を持って触れます。

Mass007

「信頼と尊敬の念を持って」と書いたのは、その目の前にいる人や体は、いろいろな不調を訴えているにせよ、有機的統合体として、この大自然の一部として完全に自律的に、尊厳ある人格を持って存在しているからです。

そんな存在を、誰であれコントロールしたり操作したり矯正したりはできない、と熟練したマッサージ師は感覚的に理解しています。
できることは、尋ねるように触れ、可能な限り感覚的に理解することだけ。
受動的に繊細に触れ、主に手の感触を通して時には大胆に体を理解しようとします。

・・・。
何となく観念論っぽく見えるかも知れませんね。

次回は上記のことを実際のマッサージを例に説明し、次に自分で出来るふくらはぎのマッサージを書くつもり。
(息切れしたり挫折しないことを祈る>自分)

 

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