« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012/12/25

Facebookアカウントを削除しちゃった

Facebookのプライバシー設定が今ひとつ把握できていないし、なにはさておき最近ぜんぜん使っていないので、アクントを削除しました。

アカウントの完全削除は、ちょっとわかりにくいですが「ヘルプセンター」から見つけました。

・「ヘルプ」→
・「ヘルプセンターを見る」(プルダウン画面最下部)→
・「アカウントの管理」→
・「アカウントの利用解除、削除、追悼」→
・「アカウントの削除」項目の「自分のアカウントを完全に削除するにはどうすればよいですか。」

上記手順で進むと以下の文章。

アカウントの利用を解除した場合、あなたのタイムラインはFacebookサービスからすぐに消えます。Facebookのユーザーはあなたを検索できなくなりますが、あなたが送ったメッセージなど一部の情???は他のユーザーから表示することが可能です。あなたがFacebookの利用を再開する場合に備えて、あなたのタイムライン情報(友達、写真、趣味・関心など)も保持されます。

Facebookを再度利用すると考えていない場合は、アカウントを完全に削除することを要求できます。アカウントを削除した場合は、後で再登録したり、登録解除する前に追加したコンテンツや情報を取得したりできなくなりますので、ご注意ください。削除を実施する前に、Facebookからあなたの情報のコピーをダウンロードすることができます。そこで、アカウントが復元できないように完全に削除する場合は、アカウントにログインしてこのフォームに記入してください。

「このフォーム」へのリンクは下記ですので、たぶん直接下記リンクから入れるかと。

https://www.facebook.com/help/delete_account

フォームに飛ぶと以下の文章。

アカウントを永久に削除 このアカウントは利用解除され、14日後に完全に削除されます。14日以内にアカウントにログインすれば、アカウントの削除をキャンセルすることができます。

「OK」ボタンをクリックすれば目出度くアカウント削除です^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/12/22

マッサージのやり方:とっても当たり前な超基本編2

体を物として扱い、能動的に操作、矯正しようとすること。
そして、人の体に信頼と尊敬の念を持って、受動的に理解しようと触れること。

その違いがわかりやすいのが、足裏のマッサージです。
プロでさえ、足裏を物としてマッサージしていることも多いくらいですから。(^^;


触れる手の違い:足裏のマッサージ

おそらくアロマ系のフットマッサージではそういうことはないと想像していますが、プロのマッサージ師の中にも「足の裏は硬い」という固定観念があって、実際"硬い物としての足裏"に働きかけている例を多々見かけます。
ですから、普通の人やマッサージ初心者がそういうマッサージをしてしまうのは、ある意味しょうがないのですよね。

では、"硬い足の裏”を能動的にマッサージしよう、揉みほぐそうとしている時、どんなことが起こっているのか見てみましょう。

硬い足裏を揉みほぐそうと触れる

おそらく多くの人が、足裏は表層の皮膚のレベルから硬いと思っています。
そしてなおかつ、その下には凝って緊張している筋肉があり。
硬い皮膚を突き抜けて、その下にある凝りをほぐそうとします。

ですから、足の裏をマッサージしようとする時、触れるその指はその人なりに想定した"硬い足の裏"に対応した緊張感を持っています。
例えば、足裏マッサージ用木の棒、そんな感じに近い指になってます。

Mass008

こうした指で触れた時、その想定した硬い凝り以外の感触は排除されることになります。
感覚のフォーカスは"硬い凝り"に集中してしまうので、それ以外の皮膚の感触や柔らかい部分の感触は意識に上らない状態です。

皮膚や皮下組織の感触は素通りで、その下にあるであろう"筋肉的な凝り"をグリグリ・・・。
(こうしたやり方やアプローチは、町の按摩さん的には既に"暴力”なのですが。(^^;)
運良く想定するような硬さの凝りがある場合もありますが、見つからないことも多いです。

足裏を理解しようと受動的に触れる

上記に対して、足の裏がどんな状態なのか、その硬さの質や形はどういう風になっているのか、感じ取ろうと受容的に触れる場合。
その触れようとする指は、未知の足裏に対して感覚を開いています。
ですから、当然その触れようとする指も柔らかいまま。

Mass009

触れた瞬間の皮膚や皮下組織の感触を十分理解しつつ、少しずつ圧を加えながらその下の組織や筋肉の感触も理解していきます。

きっとあるであろう硬い凝りをグリグリすること。
感覚的実感的に受容し理解されつつ触れること。
マッサージされる側にとって、それはまったく異なった行為として感じられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/12/21

マッサージのやり方:とっても当たり前な超基本編1

マッサージのやり方を、あまりにも当たり前過ぎる超基本的なことから書いてみます。
あまりにも当たり前なことなので、西洋的基礎医学的知識を詰め込まれた鍼灸マッサージ師には意外と知られていなかったり考慮されていなかったりする、そんなことから。


体という場

多くの初心者やマッサージが下手な人は、マッサージをする対象部位を物質、物体として見、認識しています。

確かに人体は、客観的に見れば物質、物体としての側面を持っています。
ですが、自分の体はどうでしょうか。
物質としての体だけを切り離すことは出来ませんよね。
肉体という有機的な場に、思考や感情、気分、感覚をともなう主観的"私"が溢れているもの、それが人の体なのだと思っています。

例えば片手を誰かに掴まれたとして、それは「"私"は手を掴まれた」ということであり。
そこで起こった出来事は、「"私"の構成要素である物質的肉体の片手が他人に掴まれた」ということではなくて。
「"私"が掴まれた」という出来事になります。
体は部分も含めてすべて"私"なんですよね。


触れること

さて。
最初に「多くの初心者やマッサージが下手な人は、マッサージをする対象部位を物質、物体として見、認識しています」と書きました。
初心者やマッサージが下手な人は、誰かの腕を持つ時に「物」を掴むように能動的に掴みます。
持つ手は、(無意識に)物体を掴む状態に適応させて少し硬く緊張し、指先主体で掴むように持ちます。

Mass006

人が、相手の人の体を、物を掴むように持つ。
人格ある人としてではなく、物として扱う。
そこでは、極端に言えば(ぜんぜん極端じゃないんですけど)そういうことが起こっています。

熟練したマッサージ師は、体の部分部分も"その人"として、信頼と尊敬の念を持って触れます。

Mass007

「信頼と尊敬の念を持って」と書いたのは、その目の前にいる人や体は、いろいろな不調を訴えているにせよ、有機的統合体として、この大自然の一部として完全に自律的に、尊厳ある人格を持って存在しているからです。

そんな存在を、誰であれコントロールしたり操作したり矯正したりはできない、と熟練したマッサージ師は感覚的に理解しています。
できることは、尋ねるように触れ、可能な限り感覚的に理解することだけ。
受動的に繊細に触れ、主に手の感触を通して時には大胆に体を理解しようとします。

・・・。
何となく観念論っぽく見えるかも知れませんね。

次回は上記のことを実際のマッサージを例に説明し、次に自分で出来るふくらはぎのマッサージを書くつもり。
(息切れしたり挫折しないことを祈る>自分)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/12/02

かなり快適な目の運動&ストレッチ

4、5ヶ月前にYouTubeで見つけた「ビジョントレーニング体操」。
やってみたら、目の動きや認識に、滞りや澱みがあることが実感できて、それ以来毎日続けています。

動画では木琴を叩くバチを目で追っていますが、とりあえず手の親指を立てて、それを目で追ってやってます。

はじめた時に気づいたのは、比較的右の眼球の動きにコリ感があること。
(ぼくにとって、身体の右側は全体的に左に比べて動きが悪いのです)
右端を見る時に、特にコリ感や動きの鈍さがあります。
そして、同じく右端の際あたりでは、見ている親指が二重に見えます。
両目のピントが合ってない感じ。

この両目のピントが合わずに二重に見えるのは、上方を見る時の方が顕著かも。
上方の視界ギリギリの所のかなり下の方、「ちょっと上目遣い」程度の所で二重に。
どうやら、老眼と同じく、歳を取ると上方が見にくくなるとか。(^^;

これらは眼球運動や両目の協調的なピント作用という、おそらく筋肉運動的なこと。

あとは、指の移動を目で追っていく体操。
これ、例えば、指を左右に平行移動させて、それを目で追っていくとして。
最初、その追っていく指を「見ていない瞬間」が時々あるんです。
注意力とか集中力が抜けている感じ。
なんか「ぼやっ」としているらしく、指の映像が残ってない感じ。

なので、けっこう意識して「見るぞ!」みたいな意気込みで指を目で追っていたりしました。

そんなこんなで1ヶ月くらい経過すると、右目のコリ感がかなり取れて来ます。
円を描くように腕を回して、その親指を目で追っていく眼球の動きがすごく気持ちよく感じられるようになったりもし。

上方や右端での二重に見えるピンボケも、最初よりは少し改善。
でも、一番の変化は、指の移動を目で追うヤツ。
「見る」という認識力が抜けなくなったこと。

途中で指の映像が抜けたりボケたりしなくなり。
映画やテレビで、顔を固定カメラで映したまま固定カメラごとくるくる回って、顔は鮮明に写ったまま周囲の風景が流れていく感じ。
移動する指は見えたまま、周囲の背景が流れていくのが見えている、そんな感じです。


121202


考えてみれば、見え方としてはとっても当たり前なことなのですが。
指を見たまま周囲の背景が流れていく、という事実は。
とっても新鮮なのでした。(^^)

「見る」という行為、その認識力は。
歳とともに衰えるんですねぇ。

というわけで、進みつつあった老眼は進行がストップ、または改善しつつあります。

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »