感覚を深めること、底力を培うこと
按摩やマッサージにとって、感覚や感触は最も重要で役立つ道具。
触れた感覚、その感触。
その感触の中に入り込んでいくと、そこは多様な表情や印象に満ちています。
それを、もっともっと深く味わい感じ取りたい・・・。
とはいえ、その感触の中に深く沈潜、または広く拡散しようとすると、ある限界にぶつかります。
それ以上深まらない、拡がらない感じ。
そこでは、なんとなくですが、底力が必要な気がし。
胆力とでもいうような、下からどっしりと支えることのできる深い底力。
大きな樹木が天高く枝を広げるには、それに見合った大地の奥深くまで張り巡らされた根が必要なように。
どっしりとした底力。
そういえば、昨年末から四股を踏んでいるのですが。
我流でスローモーション四股に変更し。
そのスロー四股で培われつつある下肢の安定感や根っこ感覚が。
その底力に通じそうな予感。
ところで、感覚、感触の中には、当たり前ですがポジティブ・ネガティブで括れないような多様なものがあり。
それらをありのままに感じ取るためにも、やっぱり底力は必要だよね、と思うわけです。
ルドルフ・シュタイナー著「秘儀参入の道」をパラパラ読んでいたら、「秘儀参入」とか「霊界参入」という言葉の意味はよくわからないながらも、感覚や感触の世界にも通じるような部分が。
メモ、メモ。φ(。_。 )
「秘儀参入の道」ルドルフ・シュタイナー
Ⅰ.秘儀の本質と人間の精神生活よりあることを知っても、そのことによって事態が変わることはないという考えに繰り返し没頭するのは、大事な瞑想になります。
たとえば、誰かが一時間後に必ず災害が起こると知って、その災害を防げるところにいなかったとすると、不安と恐怖に襲われることでしょう。
災害の発生を前もって知っても、事態は何一つ変わらないのです。
不安や恐怖を抱くことは無意味なのです。
不安や恐怖という無意味なものに、魂は自然の本性によってとらわれます。
そして、もし、恐怖を克服する大胆さを準備していないと、霊界参入のある段階で必ずこの不安と恐怖が襲ってくるのです。
「何かを、知ることによって変えられはしないか」という無意味な考えに耽るべきではないのです。霊界参入を目指す瞑想者はある段階で、見方によってはまさに悪しきものを人間の魂の内部に見るに至ります。
意識の境界の下に、通常の人生の判断によっては、本当に別のものに変えてしまいたいものが存在するのです。
見方によっては、身の毛もよだつような、非常に恐ろしいものが意識の境界の下に存在します。
もし、準備のできていない人が魂の低層へと降りていくと、当然、その信じがたいほどの恐ろしい光景に驚いてしまいます。
繰り返し、繰り返し、事物は認識することによっては別様にならないと瞑想して、準備を整えなければなりません。
魂の地下へ入っていき、魂の地下を見たことによって恐ろしい光景が出現したのではありません。
恐ろしい光景は常に魂の深層に存在しているのです。
認識しなくても存在しているのです。
事物は認識によっては変化しないという考えを繰り返し瞑想することで、臆病さの大半を取り除くことができます。
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コメント
こんにちは。
底力というのはとても共感します。
そういえば、村上春樹さんは「壁抜け」と表現してました。
ぼくは以前はストレッチというのは軽視してたです。^^;
この底力、地力を養成する鍛錬を優先させていたからなんですが。
でも鍛錬していると、途中で飽きてしまうというか、詰まってしまう。
からだの重さを脱力によって最大限になるようにして、その重さそのものを地面に流していく。
そんな感じでやっておったのですが、どうしても長時間行えない。
そこですこしづつ鍛錬の仕方を変えていって、いろいろ試行錯誤してました。
最近はpuruストレッチを参考に、解放系のストレッチを行うようになりました。
これはプルさんのおかげです。感謝。^^
解放をするとからだが大きくなり、それがまたあらたな力に転換されるようです。
とはいってもまだまだですが。^^;
シュタイナー興味深いな~。
投稿: たいろん | 2012/02/26 20:28
おはようございます、たいろんさん^^
>からだの重さを脱力によって最大限になるようにして、その重さそのものを地面に流していく。
>最近はpuruストレッチを参考に、解放系のストレッチを行うようになりました。
puruストレッチ(^^;も、最初は丹田にブンって力を落とすところからはじまりました。
座骨でしっかりと座って重心を落とすと、丹田の感じが掴める気がして。
そこから、伸びているところ縮んでいるところを、気持ちよくウネウネと伸ばしたり縮めたりする。
毎日やってると、使えていない部分が少しずつ使えるように目覚めてくる。
ただ、座骨にしっかり重心を落とせないと、内発的な気持ちよい伸びが出てこないんですよね。
要は、腰が引けた状態では伸び上がったり拡がることが出来ない。
いわゆる体の硬い人が足を伸ばして前屈しようとする時、腰が引けたまま肩に力が入って一生懸命足先に手を伸ばそうとしてしまう。
これだと、重心は肩のあたりに上がったままで、まるでアップアップしてる溺れた人状態。
そうではなくて、膝はいくら曲げてもいいので、まずは窮屈ながらも足先を掴んだ状態にし。
そこで充分に座骨に重心を落とし、腰が入った状態にする。
この、座骨重心で腰が前に傾いている状態で、はじめて内発性が生まれる。
「ヨッシャ!」とか「ブン!」とか「オリャ!」ていう丹田力みたいな感じ。
そこからウネウネ気持ちよさの網を広げていく。
そして、息を吐きながら、座骨に重心を預けるようにくつろいでいく。
たいろんさんが書いてくれた
>からだの重さを脱力によって最大限になるようにして、その重さそのものを地面に流していく。
みたいな感じかも。
内発的な動きを誘発して、大地に落ちていき。
そして、そこから再び内発的に網を広げるように拡がって、の繰り返しかな^^
投稿: puru | 2012/02/27 07:08