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2011/12/26

四股の体重移動:へなちょこの発見

ここ数日、四股を踏む際、上げる足側の腕をあらかじめ大きく振り上げてから足を上げると、けっこう安定して上げた足を静止できる気がして。
あらかじめ腕を上げてから四股を踏むようにしていたのですが。

今日、軸足に体重を預けた後に足を上げればよいことを発見。
おお、ぼく的大発見。(^O^)
(たぶん、四股を踏む時の基本なのだと思いますが。(^^ゞ)


慣れないへなちょこ初心者は、軸足側の脇腹がちゃんと縮まずに軸足にもしっかりと体重が乗らず。
結果、四股の足も安定して上がらず、その足を静止させておくのもままならないという、ぐだぐだな四股になりやすく。
それが、あらかじめ上げる側の腕を上げて脇腹を伸ばすと、当然の如く軸足側の脇腹が縮み体重を預けやすいのです。
また、あらかじめ腕を上げておくと、ヤジロベーの腕のようにバランスが取りやすいのでした。



うほほ。
これでまたひとつ四股が楽しくなりました。(^^)
そろそろ回数も増やせそうです。

 

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2011/12/23

按摩関連論文をメモ:Scholar検索がスゴイ件

Google検索を使っていて、何気なく上部メニューバーにある「もっと見る」でプルダウンメニューを出してみたら。
「Scholar」という項目が追加されていました。

Google Scholar について

膨大な学術資料を簡単に検索できます。
分野や発行元を問わず、学術出版社、専門学会、プレプリント管理機関、大学、およびその他の学術団体の学術専門誌、論文、書籍、要約、記事を検索できます。
学術研究資料の中から最も関連性の高い資料を探す際には Google Scholar をお役立てください。

・Google Scholar
http://scholar.google.co.jp/schhp?hl=ja

試しに「按摩」で検索してみたら、けっこう興味深い論文がヒットします。
ひとまず興味のある論文(PDF)はローカルに保存しておきましたが、ついでにリンク先もメモしておくことに。

136 我国における近代以前の按摩療法の変遷:和久田 哲司:筑波技術短期大学鍼灸学科

「黄帝内経」からみた按摩療法:和久田 哲司:筑波技術短期大学鍼灸学科

鍼灸按摩事業所の営業件数と市場規模に関する調査:藤井 亮輔:筑波技術大学

韓国の視覚障害者あん摩師の歴史と現況:形井, 秀一:筑波技術大学学術・社会貢献推進委員会

古代中国における手技療法の発祥と発展:和久田 哲司:筑波技術短期大学鍼灸学科

操体法に関する一考察:中薗, 伸二:東京大学教育学部

幕末肥後における当道座:緒方, 晶子:熊本大学

中国における針灸・推拿の現状:宋, 宇、殿山, 希、形井, 秀一、諸, 黎瑋:筑波技術大学学術・社会貢献推進委員会

明治初期刊行養生書の身体運動論:大久保英哲, 野中由美子:金沢大学教育学部紀要

医業類似行為の問題点 —最近経験した症例から—:伊〓輝昌…:福岡大学筑紫病院整形外科

 

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2011/12/17

十三佛曼荼羅主尊:虚空蔵菩薩

以前、国会図書館の近代デジタルライブラリーにて「虚空蔵菩薩」を検索していたらヒットした「十三佛講話」。
新密教の富田学純という人の大正時代の著書なのですが、以前は「新密教 富田学純」で検索して、かなり詳しいことが調べられたはずなのに・・・。
今検索してみも、あまり詳しい内容がヒットしません。
確かWikipediaにも載っていたはずですが・・・。う~む

ともあれ、せっかく我が家に虚空蔵菩薩様が来てくれたので、新密教的虚空蔵菩薩をメモ(テキスト化)しておくことに。
自己曼荼羅という概念も大好きですし。

・「十三仏講話」富田学純著(国会図書館:近代デジタルライブラリー)東京:加持世界社,大正3年 より


第4章 自己曼荼羅

弘法大師の語に「夫れ佛法遙かに非ず、心中にして則ち近し、真如外にあらず、身を棄てて何(いづく)んか求めん」とあるが、本尊を壇上に安置して之を崇拝し曼荼羅を信仰の対象として外に荘厳する所以のものは是れ自己に具有する無尽荘厳を開顕して茲に自己曼荼羅の確立を必要とするからである。
大日経に「曼荼羅を図画せよ自身を大我と爲す」とあるは即ち此自己曼荼羅である。
元来自己には無限の存在がある無辺の力量がある。
無盡無盡の荘厳せられたる宝蔵がある。
換言すれば自己なるものは宇宙現象の全分を具有するのである。
之を広充すれば自己は宇宙万象の主体であると云い得るのである。

古哲学者は我は考う故に我ありと喝破して其の哲学を立脚地としたが、自己なるものの廃滅せし時如何に客観が壮大なるも其の客観は何等の意味を有せないのである。
即ち自己なるものが亡失すれば宇宙も同時に其の存在の意義を亡失するのである。
大日経には其の趣を説いて

 善男子諦(つまびらか)に内心曼荼羅を聴け
 秘密主、彼の身地は即ち是れ法界の自性なり

と云うて居る。
佛教の多くは此れ自己の無限の権威を無我の大我と云う語に依りて表明して居るが、吾人は其の意義を明らかにする爲に是を自己曼荼羅と称したいのである。
然らば吾人は宇宙の存在を認識するに先だって先ず自己の存在を認識すべきである。
社会の存在を究明する前に先ず自己の存在を究明すべきである。
換言すれば吾人は先ず自己を内観し、確認し、反省し、整頓し、向上し、愛撫し享楽し而して後に始めて外界に発展広充すべきである。

……以下略……


第5章 虚空蔵菩薩

元来密教は極端の象徴主義であるから、金剛界胎蔵界両部不二と云うことになれば両部不二の深旨を象徴すべき何物かが必要となって来るので、此の必要に応じて顕れて来たのが、即ち如意宝珠である。
密教の唯一の最尊最貴の宮中後七日御修法の本尊が、金剛界大日如来でもなく胎蔵界大日如来でもなく、如意宝珠であり、密教の最極深秘の秘法は如意宝珠の法で、密教の最極秘印の無所不至印は三弁宝珠と観するのが大阿闍梨の口傳であるとするのでも明らかな如く、如意宝珠は密教の理想物と化したのである。
そこで大日如来より伝来の如意宝珠が埋められた、大和国室生山精進ヶ峰が、闔宗(こうそう)の僧侶に依りて毎朝拝礼供養せらるるに至ったのである。
然るに十三佛曼荼羅の主尊たる虚空蔵菩薩は此の如意宝珠を最も現実的に人格化したる本尊である。

……略……

吾人常に思いらく人には両面を有す。
一は霊的方面で一は肉的方面である。
古来の宗教なるなるものは此の両面の観察を誤りて、単に霊的方面のみを善良とし佛とし神とし、人を罪の子と卑しみ、煩悩妄想の衆生となし、其の肉的活動を全く無価値の如くに主張し来たったのである、
此の時に当たって功利主義を唱道し人間欲望を以て自然の衝動となす新思想を見るや、全くの宗教の破壊の如く道徳の廃滅の如く騒ぎ廻るものがある。
併し此等の宗教は全く因習に囚われたる一種の迷妄で、決して正しい宗教に対する見解でない。
密教の立場から見れば人世の欲望なるものは適度に発展し得るは決して罪悪でも不善でもない。
密教の金剛薩埵は大欲、大觸、大愛、大慢の大快楽三昧に住するも此の意に外ならぬのである。
故に密教の眼から見れば人世に断ずべき煩悩もなく、滅せしむべき罪悪もないのである。
只人世の幸福の障礙となるものあらば之を利導して幸福の材料たらしむべきである。
此の人世の幸福即ち是れ如意宝珠の三昧で、是を人格化したのが虚空蔵菩薩であるとせば、此の菩薩は実に人世の理想的本尊である。

今日の通俗信仰に於いても此の菩薩は多く開運の神として崇拝せられて居るのも此の根本思想の流れであるまいか。

……以下略……


第七章 十三佛各説

第十三節 虚空蔵菩薩

虚空と云う語は昔は広大無辺の唯一の喩えである。
蔵とは含蔵のことで、此の菩薩は虚空の一切森羅万象を含蔵するが如く其の徳の広大無辺なるを顕わすの名である。
今の語では宇宙菩薩と云った方が通用するかも知れない。
宇宙蔵であればこそ唯一絶対の妙実在であると云い得るので、十三佛曼荼羅の主尊となし得るのである。
此の事を明瞭に説いて居るのは密教最極深秘の瑜秘経(ゆぎきょう)の金剛薩埵吉祥品で、其の中に青黄赤白黒の五色の五大虚空蔵を説いて居る。
此の五大虚空蔵は即ち宇宙を人格と見たる大日如来の五智の作用で、全く大日如来を現実化したものである。

虚空蔵菩薩は右の手に智恵の利劍を持ち左の手に福徳の如意宝珠を載せてござる。
是れ佛教で云う福智の二門の象徴である。
福徳とは現実で智恵とは理想である。
然らば虚空蔵菩薩は理想と現実とを調和し之を具体化したる象徴であると云い得るのである。
此の右手の智恵の徳を開いたのが、檀那、持戒、忍辱、精進、禅定の五波羅蜜である。
故に虚空蔵菩薩は此の十波羅蜜菩薩を眷属としてござるのである。

十三佛の主尊たるは此の理想と現実を調和して具象化したる点に存するので、宇宙を人格化したる大日如来を通じて此の菩薩を見て始めて虚空蔵菩薩の広大無辺の新生命は活動するのである。
然るに惜しい哉今日の虚空蔵菩薩に対する信仰は京都の嵐山の虚空蔵菩薩を始め、十三歳の童男童女参詣して智恵を貰い幸福を祈るの外、密教者間に聡明を求むる爲に求聞持法の本尊として尊崇せられて居るのをみて、此の真意義を発揮するもののないのは頗る遺憾である。

……以下略……


 

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超精巧・仏像フィギュアが出てた!買った!

つい最近知ったのですが、かなり精巧な仏像フィギュアが出ていました。

【ミニチュア仏像】蓮華虚空蔵菩薩[神護寺 正式監修・許諾] 4,725円

美しい国宝、重要文化財を各お寺の監修・許諾の下、ハイディティール・ハイクオリティなミニチュアで再現!
日本人原型師の指示のもと、1点ずつシリコンの型に樹脂(ポリウレタン)を流し込み加熱して固め、乾燥後、職人が絵付けを致します。
金型で大量生産する商品とは根本的に違い、つなぎのない1点1点が手作りの作業による商品です。

サイズ(本体): H90 x W60 x D60mm
重量(本体): 約100g
材質: ポリウレタン / ポリストーン

高さが9cmくらいで4,725円という手頃な値段。
写真を見てもけっこう精巧に出来ているようです。
一点一点職人さんが絵付けをしているそうですが、いろいろ調べてみると手慣れてきたのか初期の頃より絵付けがよくなっているとか。

というわけで、さっそく憧れの虚空蔵菩薩様を注文しました。


到着して実物を手にすると・・・。
おおっ!
予想以上に精巧な作り。
そして確かな存在感。



(うっ。フラッシュを焚いて撮ったせいかおっさん顏になってる。T_T 実物はもっとほっそりとした美少年なのにぃ。orz)



なんだか心臓がドキドキ。
虚空蔵菩薩様のお顔、中性的ですんごく整っていて、か、かわいい。(*^^*)
一目惚れです。

つい最近頂いた焼酎の木箱が、ちょっと大きめではありますが仏像を納めるのに良さそうなので。
虚空蔵菩薩様をそこに納めることにしました。
朝起きた時にご開帳してご挨拶。
就寝する時にまたご挨拶して閉門。

なんかよい感じです。

あとは、虚空蔵菩薩様には台座を敷き。
手前に小さい香炉。
毎朝扉を開けたら香を焚くと素敵かも。

他には、木箱背面に5大虚空蔵菩薩曼荼羅か何かを貼ってみるのもいいかも。
などと、夢は膨らむ・・・。(*^^*)


この仏像フィギュアは「ミニチュア仏像シリーズ」といい、今のところ虚空蔵菩薩を含めて7体が出ているようです。
大型書店等でも販売しているようですが、製造元がAmazonで販売しています。

また、「ミニチュア仏像」とともにそれぞれのストラップ仏像(虚空蔵菩薩、如意輪観音菩薩 、大日如来はストラップなし)もありますが、こちらはストラップとしての強度には問題があるようです。
特に不動明王ストラップは、ストラップの金具が光背に付いていて折れやすく、実際に折れてしまったストラップ写真をネットで見ました。
ストラップ仏像は実際に携帯等に付けて使用するのではなくて、壁などに掛けてあくまで飾りとして使用するのが吉かもです。

帝釈天[東寺 監修許諾] 4,725円
帝釈天(緑色ストラップ) 1,260円

梵天[東寺 監修許諾] 4,725円

梵天(紫色ストラップ) 1,260円

持国天[東寺 監修許諾] 4,725円

持国天(赤色ストラップ) 1,260円

不動明王[東寺 監修許諾] 4,725円

不動明王(七色ストラップ) 1,260円

蓮華虚空蔵菩薩[神護寺 監修許諾] 4,725円


如意輪観音菩薩[醍醐寺 監修許諾] 4,725円
 

大日如来[金剛峯寺 監修許諾] 4,725円
 

 

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2011/12/14

「無資格マッサージ問題まとめ」を数年ぶりに更新

「町の按摩さん.com」に鍼灸マッサージ法律関連コンテンツを移植中。
主要な法律、厚労省による訓令や通知、最高裁判所判例は移植終了。

ついでに、「無資格マッサージ問題まとめ」も数年ぶりに書き直したりして更新しました。

・「無資格マッサージ問題まとめ」
http://anmasan.com/law/summary-law.htm

 

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2011/12/11

治療例や身体の様々な感覚に関する項目を追加:町の按摩さん.com

町の按摩さん.com」に、これまでブログや掲示板、HPに書いていた治療例や身体の様々な感覚に関する記事をまとめる「治療・感覚・意識・その他」という項目を作りました。

まだまとめ始めたばかりですが、方々に散らばっていた記事が一箇所で読めるので、自分的にとても便利。

「町の按摩さん.com」も徐々にぼくらしいサイトになりつつあります^^

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2011/12/05

目覚める身体 - 四股(2)

それまで3回ずつだった四股を5回ずつに増やしたのが2週間ほど前。
やっと片足を上げて少し静止できるようになった頃でした。

とはいえ、左右合わせて6回の四股中、まともに静止できるのは数回。
そんな状況で5回に増やしたのですが、5回を終えるとへとへとでフー!フー!息切れ。(^^;
なんとも情けない。orz

さて、5回ずつにして2週間になるわけですが。
本日は5回ずつの四股すべてでちゃんと静止できてました^^
フー、フー、息切れしなくなったし。

ホントすごいですね、人間の適応力って。
毎日「さて、今日はどんな感じかな」と、確かめるように、たった5回ずつの四股。
「トレーニング!」って感じじゃなくって、淡々と続けているだけでできるようになるんですね。

片足を上げて静止し続ける股関節廻りの筋群。
それだけではなくて、軸になっている方のバランスを取ろうとしている足や下肢の筋肉群。
一日ほんの5回でも、続けていると身体が徐々に目覚めて使えるようになっていくんですね。

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