玄侑宗久氏のいう「直観」「瞑想」とは?
「SAPIO」1月26日号に玄侑宗久氏の文章が載っていました。
『「これからの10年」はこう生き抜け』という特集の中の『計画と情報に縛られた「泥亀」日本人に必要なのは「両行」精神で育む「心の活発さ」である』というもの。
そこに、気になって気になってしょうがない一文があります。
わかりそうでわからない、もの凄くもどかしい文。
直観力とは計画=プランニングとはまったく別の脳の使い方である。
それはある種の「瞑想」と言ってもいい。
ごく簡単なやり方を示そう。
目を閉じ、「頭が自然に動く」と思いつつ、動き出したらあとは自然に任せ、意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。
それだけである。
計画=プランニングとは別の脳の使い方、ある種の瞑想ともいえる直観力。
その使い方の具体的やり方・・・。
気になります。
もの凄く。
興味津々です。
玄侑宗久氏は作家も兼業する臨済宗の住職とか。
禅僧が示す、瞑想ともいえる直観力の使い方ですから尚更に。
目を閉じ、「頭が自然に動く」と思いつつ、動き出したらあとは自然に任せ、意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。
それだけである。
「頭」とは文字通り肉体の頭でよいのだろうと思われますが。
「思考」とか「マインド」などと読むのは深読みですよね。
まずは自己暗示のように「頭が自然に動く」と思い・・・。
実際に動き出すのを眺めるように待ち・・・。
動き出したらあとは自然に任せる・・・。
その時。
意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。
「その筋肉」や「その感覚だけに集中」という表現が悩ましいです。
「その筋肉」とは、「自然に動いている頭」の、その頭を動かしている限局的な筋肉のことなのでしょうか。
それとも、動き出した頭とともに、その動きは体全体に波及し、体全体のうねりとなっているのでしょうか。
後者だとすれば、「その」という限局的単数形的表現ではちょっと違和感を感じたりし。
「それらの筋肉」と複数形にした方がよいだろうし・・・。
とはいえ。
「自然に動いている頭」の、その頭を動かしている限局的な筋肉のことだとすれば。
身体上部に位置する、首や顔の筋肉、の感覚に集中するというのは、ちょっと気上がり的状態で気持ち悪いかも・・・。
などと、この文章を書く時まではそう思っていたのですが。
今、実際にやってみると。
意外とよい感じ。あらま
首付近は位置的には第5チャクラ的重心ですし。
意識が拡がってよい感じです。
あら、あら。
なるほど。
限局的でも全体的でも、感覚にフォーカスを当てるだけで直観的瞑想的になれますね。
確かに。
お騒がせしました。(^^ゞ
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コメント
(゚▽゚*)あ、玄侑宗久さん大好き!
図書館にあったのは全部借りて読みました。
著書に瞑想のやり方各種紹介されてますね。
簡単なのはやってみました。
歩きながら足の動きに集中するとか、目を閉じて今まで聴いてなかった音を聴くとか・・・。
でもその「頭が自然に動く」ってよく分からないです。
頭部じゃなくて脳みそ?が筋肉でできてるのをイメージするのかしらん?どう動くのだろか
投稿: 玉兎 | 2011/01/20 22:44
連投失礼します。
puruさんは「首」や「顔」の筋肉を意識したんですよね。
そしたら「頭部」か・・・。
う~ん やってみたけど「意識がひろがる」ってどういうことかしらん?
時間が短すぎだからかな?
自分では自分を直感人間だと思ってたんですが・・・思い込みだったかもです。
投稿: 玉兎 | 2011/01/20 22:59
こんにちは、玉兎さん。
>(゜▽゜*)あ、玄侑宗久さん大好き!
>図書館にあったのは全部借りて読みました。
おぉ、そうでしたか。
ぼくは名前に見覚えはあるものの、本は読んだことがないのでした。(^^ゞ
>著書に瞑想のやり方各種紹介されてますね。
>簡単なのはやってみました。
>歩きながら足の動きに集中するとか、目を閉じて今まで聴いてなかった音を聴くとか・・・。
今度読んでみよ。^^
>でもその「頭が自然に動く」ってよく分からないです。
>頭部じゃなくて脳みそ?が筋肉でできてるのをイメージするのかしらん?どう動くのだろか
ちょっと文章変ですよね。
あれは玄侑宗久さん自身の文章なのか、それともインタビューとか聞き取り記事なのか。
ライターさんが書いた聞き取り記事なんじゃないかと推測していますが・・・。
>puruさんは「首」や「顔」の筋肉を意識したんですよね。
>そしたら「頭部」か・・・。
頭がゆらゆら動いていたので(上半身も動いてたけど)、「その筋肉の内部感覚、つっぱったり
うねったりするその感覚」を意識したら、「首」や「顔」の筋肉だったていう感じかも。
>う~ん やってみたけど「意識がひろがる」ってどういうことかしらん?
ぼく特有のクセのある感じ方かもです。(^^;
首を意識するとそうなりやすいというか。
首の感覚 → 首の後ろの皮膚感覚 → 首周囲の空間の感覚 → 体全体の感覚が空間に拡がる感じ
みたいになりやすいのです。
投稿: puru | 2011/01/21 08:48
玄侑宗久さん、素敵な方です。
たまたま行った講演会で握手していただきました。
中陰の花という小説が
いろんなエッセンスが詰まっていて面白かったです。
精神のこと
身体のこと
禅のこころ
そして意識のその先につながっている何かに
きっと直観的にいろんなことがわかってらっしゃるのだろうな
と感じました。
投稿: 智慧 | 2011/01/29 08:17
はじめまして、智慧さん。
フォローさんきゅです。^^
>きっと直観的にいろんなことがわかってらっしゃるのだろうな
>と感じました。
僧侶で専門的な知識を身に付けながら、ですね。
なるほど。
今度著書を読んでみますね。
今後ともよろしくです。m( _ _ )m
投稿: puru | 2011/01/29 11:24