« インド映画音楽はネット上で聴き放題? (^^; | トップページ | ヒヨドリの羽パタパタがカワイイ件 »

2011/01/18

玄侑宗久氏のいう「直観」「瞑想」とは?

「SAPIO」1月26日号に玄侑宗久氏の文章が載っていました。
『「これからの10年」はこう生き抜け』という特集の中の『計画と情報に縛られた「泥亀」日本人に必要なのは「両行」精神で育む「心の活発さ」である』というもの。

そこに、気になって気になってしょうがない一文があります。
わかりそうでわからない、もの凄くもどかしい文。

直観力とは計画=プランニングとはまったく別の脳の使い方である。
それはある種の「瞑想」と言ってもいい。
ごく簡単なやり方を示そう。

目を閉じ、「頭が自然に動く」と思いつつ、動き出したらあとは自然に任せ、意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。
それだけである。

計画=プランニングとは別の脳の使い方、ある種の瞑想ともいえる直観力。
その使い方の具体的やり方・・・。

気になります。
もの凄く。
興味津々です。

玄侑宗久氏は作家も兼業する臨済宗の住職とか。
禅僧が示す、瞑想ともいえる直観力の使い方ですから尚更に。


目を閉じ、「頭が自然に動く」と思いつつ、動き出したらあとは自然に任せ、意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。

それだけである。


」とは文字通り肉体の頭でよいのだろうと思われますが。
「思考」とか「マインド」などと読むのは深読みですよね。

まずは自己暗示のように「頭が自然に動く」と思い・・・。
実際に動き出すのを眺めるように待ち・・・。
動き出したらあとは自然に任せる・・・。

その時。
意識はその筋肉の内部感覚、つっぱったりうねったりするその感覚だけに集中していく。

その筋肉」や「その感覚だけに集中」という表現が悩ましいです。

その筋肉」とは、「自然に動いている頭」の、その頭を動かしている限局的な筋肉のことなのでしょうか。
それとも、動き出した頭とともに、その動きは体全体に波及し、体全体のうねりとなっているのでしょうか。
後者だとすれば、「その」という限局的単数形的表現ではちょっと違和感を感じたりし。
それらの筋肉」と複数形にした方がよいだろうし・・・。

とはいえ。
「自然に動いている頭」の、その頭を動かしている限局的な筋肉のことだとすれば。
身体上部に位置する、首や顔の筋肉、の感覚に集中するというのは、ちょっと気上がり的状態で気持ち悪いかも・・・。

などと、この文章を書く時まではそう思っていたのですが。
今、実際にやってみると。
意外とよい感じ。あらま

首付近は位置的には第5チャクラ的重心ですし。
意識が拡がってよい感じです。

あら、あら。
なるほど。

限局的でも全体的でも、感覚にフォーカスを当てるだけで直観的瞑想的になれますね。
確かに。

お騒がせしました。(^^ゞ

|

« インド映画音楽はネット上で聴き放題? (^^; | トップページ | ヒヨドリの羽パタパタがカワイイ件 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

(゚▽゚*)あ、玄侑宗久さん大好き!
図書館にあったのは全部借りて読みました。
著書に瞑想のやり方各種紹介されてますね。
簡単なのはやってみました。
歩きながら足の動きに集中するとか、目を閉じて今まで聴いてなかった音を聴くとか・・・。

でもその「頭が自然に動く」ってよく分からないです。
頭部じゃなくて脳みそ?が筋肉でできてるのをイメージするのかしらん?どう動くのだろか

投稿: 玉兎 | 2011/01/20 22:44

連投失礼します。
puruさんは「首」や「顔」の筋肉を意識したんですよね。
そしたら「頭部」か・・・。

う~ん やってみたけど「意識がひろがる」ってどういうことかしらん?
時間が短すぎだからかな?
自分では自分を直感人間だと思ってたんですが・・・思い込みだったかもです。

投稿: 玉兎 | 2011/01/20 22:59

こんにちは、玉兎さん。

>(゜▽゜*)あ、玄侑宗久さん大好き!
>図書館にあったのは全部借りて読みました。

おぉ、そうでしたか。
ぼくは名前に見覚えはあるものの、本は読んだことがないのでした。(^^ゞ

>著書に瞑想のやり方各種紹介されてますね。
>簡単なのはやってみました。
>歩きながら足の動きに集中するとか、目を閉じて今まで聴いてなかった音を聴くとか・・・。

今度読んでみよ。^^

>でもその「頭が自然に動く」ってよく分からないです。
>頭部じゃなくて脳みそ?が筋肉でできてるのをイメージするのかしらん?どう動くのだろか

ちょっと文章変ですよね。
あれは玄侑宗久さん自身の文章なのか、それともインタビューとか聞き取り記事なのか。
ライターさんが書いた聞き取り記事なんじゃないかと推測していますが・・・。

>puruさんは「首」や「顔」の筋肉を意識したんですよね。
>そしたら「頭部」か・・・。

頭がゆらゆら動いていたので(上半身も動いてたけど)、「その筋肉の内部感覚、つっぱったり
うねったりするその感覚」を意識したら、「首」や「顔」の筋肉だったていう感じかも。

>う~ん やってみたけど「意識がひろがる」ってどういうことかしらん?

ぼく特有のクセのある感じ方かもです。(^^;

首を意識するとそうなりやすいというか。

首の感覚 → 首の後ろの皮膚感覚 → 首周囲の空間の感覚 → 体全体の感覚が空間に拡がる感じ

みたいになりやすいのです。

投稿: puru | 2011/01/21 08:48

玄侑宗久さん、素敵な方です。
たまたま行った講演会で握手していただきました。

中陰の花という小説が
いろんなエッセンスが詰まっていて面白かったです。

精神のこと
身体のこと
禅のこころ
そして意識のその先につながっている何かに

きっと直観的にいろんなことがわかってらっしゃるのだろうな
と感じました。

投稿: 智慧 | 2011/01/29 08:17

はじめまして、智慧さん。
フォローさんきゅです。^^

>きっと直観的にいろんなことがわかってらっしゃるのだろうな
>と感じました。

僧侶で専門的な知識を身に付けながら、ですね。
なるほど。

今度著書を読んでみますね。

今後ともよろしくです。m( _ _ )m

投稿: puru | 2011/01/29 11:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 玄侑宗久氏のいう「直観」「瞑想」とは?:

« インド映画音楽はネット上で聴き放題? (^^; | トップページ | ヒヨドリの羽パタパタがカワイイ件 »