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2010/10/19

富士川游「日本医学史」まとめ2(太古の医学)

富士川游氏が引用している原文をほとんどあたり、尚かつ原文の前後を確認してみると、意外と強引な引用の仕方をしているように思える箇所がふたつほどありました。
引用原文はほとんど漢文で、読み下しはネットで調べたり、それで見つからないものは自分勝手に読み下し。
とにかく時間が掛かりますが、古典をあたるのは楽しいです。

「日本医学史」では神祇時代に按摩に関する記述は見つからないと書かれていますが、それに類する、またはそれをうかがわせる記述は記紀にありますから、次回はそれをまとめてみたいと思います。

富士川游「日本医学史」Web上のデジタルデータ
・国立国会図書館:近代デジタルアーカイブ:日本医学史
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833360/1

・日本医学史:富士川游(一元流鍼灸術:知一庵)
http://1gen.jp/kosyo/054/mokuji.htm

デジタルデータのテキスト化
「日本医学史」富士川游著:按摩Pukiwiki

神祇時代の医術

神祇時代には、疾病の原因が神の意または邪神の為、穢気、悪毒によるもの、いずれとしても、疾病その物はひとつの物体として、ある異物が外界から身体内に入ったものと信じられていた。

その治療方法には、祈禱、禁厭、薬物内用、外科、産科、小児科、水治法などがある。


祈禱
病があれば鹿の肩骨を焼き卜占し、神授を仰ぎ、歌舞して祈禱し、神霊を調和した。


禁厭
疾病はひとつの災害として禁厭の法が行われた。

伊邪那岐命、云々、爾(かれ)拔所御佩之十拳劍而(みはかせるとつかのつるぎをぬきて)、於後手布伎都都(しりへにふきつつ)、逃來、猶追、到黄泉比良坂(よもつひらさか)之坂本時、取其坂本桃子三個、持撃者、悉逃返也、爾(ここに)伊邪那岐命、告桃子、汝如助吾(いましあをたすけがごと)、於葦原中國所有宇都志伎青人草之、落苦瀬而(うきせにおちて)、患惚時(くるしまむときに)、可助(たすけよ)告、賜名號意富加牟豆美命
~古事記神代上巻
伊邪那岐命、云々、爾れ御佩かせる十拳劍を拔きて、後手(しりへ)に布きつつ、逃來ませるを、猶追いて、黄泉比良坂の坂本に到る時に、其の坂本なる桃子(もものみ)三個(みつ)取りて、待ち撃ちたまひしかば、悉逃げ返へりき、爾に伊邪那岐命、桃子に告(の)りたまはく、汝(いまし)吾(あ)を助けが如、葦原中國に、あるゆるうつしき青人草の、うき瀬に落ちて、くるしまむ時に、助けよと告りたまひて、意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を賜ひき
……古事記神代上巻
これは桃を用いて鬼を避ける縁。


神伊佐奈伎(かむいさなき)、伊佐奈美及命(いさなみのみこと)、妹背二柱嫁繼給氐(とつきたまひて)、云々、

麻奈弟子(まなおとこ)爾、火結神(ほむすひのかみ)生給氐、美保止被焼氐(みほとやかえて)、石隱氐、云々、

與美津枚坂(よみつひらさか)爾至座氐所思食久(おもほさく)、吾名妋命(あかなせのみことの)能所知食、上津國(うへつくに)爾、心惡子乎、生置氐、來奴止(きぬと)、宣氐、返座氐、更生子(みこをうみます)、水神、匏川菜(ひさこかはな)、埴山(はにやま)姫、四種物乎生給氐、此能心惡子乃心荒比曾波、水神、匏、埴山姫、川菜乎持氐、鎭奉禮止、事敎悟給支(ことおしへさとしたまひき)

~延喜式(鎮火祭祝詞)

神伊佐奈伎、伊佐奈美及命、妹背二柱(いもせふたはしら)嫁き給ひて、云々、

麻奈弟子(まなおとこ)に、火結神(ほむすひのかみ)生み給ひて、美保止焼かえて、石(いは)隱りて、云々、

與美津枚坂(よみつひらさか)に至り座して思ほさく、吾名妋命(あかなせのみこと)の知ろしめす、上津國に、心惡しき子を、生み置きて、來ぬと、宣たまひて、返り座して、更に子を生みます、水の神、匏川菜(ひさこかはな)、埴山(はにやま)姫、四種(よくさ)の物を生み給ひて、此の心惡しき子の心荒びたるは、水の神、匏(ひさご)、埴山姫、川菜を持ちて、鎭め奉まつれと、事敎へ悟し給ひき

……延喜式(鎮火祭祝詞)

これは、水、匏川菜、埴を用て、火神が暴れるのを防ぐ例。
火傷又は疫熱を治める薬方。


古記云、饒速日命、降自天時、天神授瑞寶十種、息津(おきつ)鏡一、部津(へつ)鏡一、八握(やつか)劍一、生玉(いくたま)一、足玉(たりたま)一、死反玉(まかるかへしのたま)一、道反玉(ちかへしのたま)一、蛇比禮(おろちのひれ)一、蜂比禮(はちのひれ)一、品之物比禮(くさくさのもののひれ)一、敎導、若有痛處者(いやむところあらは)、合茲十寶、謂一二三四五六七八九十(ひとふたみよいむななやここのたりや)云而布瑠部(ふるへ)、由良由良止布瑠部(ゆらゆらふるへ)、如此爲之者、死人反生矣

~職員令集解

古記云わく、饒速日命、天より降ります時、天神瑞寶十種授けらる、息津(おきつ)鏡一、部津(へつ)鏡一、八握(やつか)劍一、生玉(いくたま)一、足玉(たりたま)一、死反玉(まかるかへしのたま)一、道反玉(ちかへしのたま)一、蛇比禮(おろちのひれ)一、蜂比禮(はちのひれ)一、品之物比禮(くさくさのもののひれ)一、敎え導かれむは、若し痛む處あらば、茲(こ)の十寶を合わせて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいむななやここのたりや)と云ひて布瑠部(ふるへ)、由良由良止布瑠部(ゆらゆらふるへ)、此の如くこれを爲せば、死人も反生するなりと

……令集解 巻二 職員令神祇官

これは、後の世に鎭魂祭(みたまつり)として行われる本。

鎭魂とは、身体に病が生じ、または魂の働きが弱くなるとき、その遊離するものを招き復へして中府に鎮める方。
鎭火、鎭魂の祭りの他、新嘗、月次等の祭は主として寿の長からんことを祈り、鎭花の祭は専ら病を生じさせない祭であり、病があるときは大祓、道饗祭を行う。
これはもと祭だが、病を治める方法としては禁厭である。


薬物内用
祈禱、禁厭から一歩進んで薬物を内服するに至ったが、禁厭がはじまった時代からそれほど隔たっているわけではない。
疾病が神の意によるものとする限り、薬物を内用するといっても、その病を治すのは神の御霊によるものだということ。
薬物の内服も禁厭の意味として行っているのであり、薬理作用を求めたものではない。

薬物の内用は酒が最初であり、素戔嗚尊の時には既に酒があった。
また、少彦名神は造酒の神とされ、大國主神の酒を醸したことも諸書に見え、酒は古くより用ひられていた。
中国においても酒が薬物のはじまりというのと異なることはない。


外科
獣による傷害や自然の中での外傷、戦による創傷など、外科的処置は人類創始と共に必須のものだが、我が国の神祇時代においても処置方法があった。
その処置はたいてい薬物を塗布するだけにとどまっていた。

其八十神各有婚稻羽之八上比賣(いなばのやかみひめを)之心、共行稻羽時、於大穴牟遅神負帒(ておひて)爲從者率往(ともびととしていてゆきき)、於是到氣多之前(けたのさき)時、裸菟伏也(あかはたかなるうさきふせり)、爾八十神謂其菟云、汝將爲者(いましせむは)浴(あみ)此(の)海鹽(うしほ)當(たりて)風(の)吹(くに)而伏(ふしてよと)高山尾上、故(れ)其菟從(ままにして)八十神之敎(ふる)而伏(ふしき)、爾(ここに)、其鹽隨乾、其身(の) 皮悉(に)風(に)見(れん)吹拆(きさか)、故痛苦(かりにいたみて)泣伏者、最後(いとはてに)之來(きませる)大穴牟遲神、見(て)其菟、云々、
是大穴牟遅神、敎告其菟、今急往此水門、以水洗汝身、即取其水門之蒲黄、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差、故爲如敎、其身如本也、』これ外傷に蒲黄を用ひたるなり。
~古事記神代上巻
其の八十神各(おのおの)稻羽之八上比賣(いなばのやかみひめ)を婚(よば)わんとの心有りて、共に稻羽に行ける時に、大穴牟遅神に帒を負(てお)いて從者(ともびと)として往て率(ゆ)きき、是に氣多之前(けたのさき)に到りける時に、裸(あかはたか)なる菟伏せり、爾(ここ)に八十神其の菟に謂ひけらく、汝(いまし)せむは此の海鹽(うしほ)を欲(あ)み風の吹くに當たりて高山の尾上に伏してよと、故(か)れ其の菟八十神の敎ふるままにして伏しき、爾(ここ)に、其の鹽乾くまにまに、其の身の皮悉(ことごと)に風に吹拆(ふきさか)見しし、故れ痛苦(いたみて)泣き伏せれば、最後(いやはて)に來ませる大穴牟遲神、其の菟を見て、云々、
是に大穴牟遅神、其の菟に敎しへたまはく、今急(とく)此の水門(みなと)に住きて、水以て汝が身を洗ひて、即ち其の水門の蒲黄(かまのはな)を取りて、敷き散らして、其の上に輾轉(こいまろび)てば、汝が身本の膚の如必ず差(い)えなむものぞと、故(かれ)敎への如しかせば、其の身の本の如くなりき
……古事記神代上巻
これは外傷に蒲黄を用いたものだ。


故爾(かれここに)八十神怒欲殺大穴牟遅神共議而、至伯伎國之手間山本云、赤猪在此山、故和禮(われ)共追下者(ともおひくだりなば)、汝待取、若不待取者、必将殺汝、云而、以火焼似猪大石而、轉落(まろめしおとし)、爾(きかれ)追下、取時、即於其石所焼著而死、爾(ここに)其御祖命(みおやのみこと)哭患而、参上于天請神産巣日之命、時、乃遣蚶貝比賣(きさがひひめ)與(とて)蛤貝比売(うむぎひめ)令作活、爾(かれ)、蚶貝比賣(きさがひひめ)岐佐宜(きさげ)焦而(こがして)、蛤貝比賣(うむぎひめ)持水而、塗母乳汁者、成麗壮夫而、出遊行、

~古事記神代上巻

故れ爾に八十神怒りて大穴牟遅神を殺さむと共議(あいたばか)りて、伯伎の國の手間の山本に至りて云ひけるは、此の山に赤猪在るなり、故れわれ共追ひ下りなば、汝(いまし)待ち取れ、若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむと云ひて、猪に似たる大石を火を以て焼きて、轉(まろ)めし落し、かれ追ひ下り、取る時に、即ち其の石に焼き著(つ)かえて死(みう)せたまひき、爾に其の御祖命(みおやのみこと)哭き患(うれ)ひて、天に参昇りて神産巣日之命に請(もを)したまふ時に、乃ち遣蚶貝比賣(きさがひひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)とを遣(おこ)せて作りて活かさしめたまふ、爾れ、蚶貝比賣(きさがひひめ)岐佐宜(きさげ)焦がして、蛤貝比賣(うむぎひめ)水を持ちて、母(おも)の乳汁と塗りしかば、麗しき壮夫(をとこ)に成りて、出で遊行(ある)きぬ、

……古事記神代上巻

火傷の治療に蚶貝を黒焼きして塗布する方法。


薬物塗布の他に刺鍼術も行われていたのかも知れない。

黄帝問曰、醫之治病也、一病而治各不同皆愈、何也、岐伯對曰、地勢使然也、故東方之域、天地之處始生也、魚鹽之地、海濱傍水、其民食魚嗜鹹、皆安其處美其食、魚者使人熱中、鹽者勝血云々、其病皆爲癰瘍、其治宜砭石、故砭石者、亦從東方來

~素問異法方宜論

黄帝問いて曰く、醫は之れ治病也、一病各不同なれども治し皆愈ゆ、何ぞ也、岐伯對えて曰く、地の勢然りせしむ也、故に東方の域、天地の始めて生じる處也、魚鹽の地、海濱水の傍ら、其の民魚を食し鹹を嗜む、皆其の處に安じ其の食美(うま)し、魚は人をして中を熱せしめ、鹽は血を勝らしむ云々、

其の病皆癰瘍(ようよう)(腫れ物)と為る、其の治は砭石(へんせき)に宜し、故に砭石なるものは、亦た東方より來たる


上記で「東方の域、天地の始めて生する所」とは我が国を指す。
素問は古人の名に仮託した偽書といわれるが、今残っているものは秦、漢時代の作である。
砭石の術は既に我が国の神代に専ら行われていたものが、遠く中国まで伝わったものだと思われる。

(※一般的に、素問異法方宜論でいうところの「東方の域」とは我が国のことではなく、中国大陸中の「東方」と解釈されています。
ちなみに、富士川游氏の上記引用文中「鹽者勝血云々」で「云々」と略している箇所は、原文では「故其民皆黒色疏理 -故に其の民は皆黒色にして理(きめ)疏(あら)し-」となっています。
また、現存する素問の秦時代は紀元前221年~。下で引用している允恭天皇元年は412年ですが、神代時代に砭石治療が行われていたことを思わせる記述の引用はありません。)

即選吉日、跪上天皇之爾、雄朝津間天之稚子宿禰皇子謝曰、我之不夭、久離篤疾、不能步行、且我既欲除病、獨非奏言、而密破身治病云々
~日本書紀允恭天皇紀
即ち吉き日を選びて、跪きて天皇の璽(みしるし)を上る、雄朝津間天之稚子宿禰皇子(おあさつまあめのわくごすくねのみこ)謝(いな)びて曰く、我が不夭(さいはいなきこと)、久しく篤疾(おもきやまひ)に離(かか)りて、步行(あり)くこと能わず、且つ我れ既に病を除(や)めむと欲ひて、獨り奏言(まを)さずして、密に身を破りて病を治むるも云々
……日本書紀巻第十三 允恭天皇
上記は鍼による瀉血治療か。

※「刺鍼の術を以て後世朝鮮又は唐土より傳はれりと云ふ①⑥は遽に信し難し。」と富士川游氏は書いていますが、今ひとつ説得力がないように思います。
(①:「日本石器時代の住民」小金井著。⑥:「古事記」)


産科

我神祇時代にありても伊邪那美神の時、既に産室の備あり、産する時には必ず新に家を建て、これを産屋と曰ふ、産畢(おえ)れは火を以て室を焚きたり。

(古事記木花開耶姫の條下に見えたり)、助産に關する技術の既に此間に存せしことを想ふべし。


兒科

木花開耶姫の産に方り、竹刀を以て其兒の臍帯を截(き)りしことあり、又乳母を以て其の兒を養ひしことあり、これを兒科の濫觴(らんしょう)とすべし。

※濫觴:物事のおこり。物事のはじめ。


眼科、耳鼻科等

眼科、耳鼻科等の治療法につきては史籍上には記述をも見ず。


藥物
太古の医術で薬物として応用されたものは、主に草木の皮、根、果実及び葉と一、二の動物の臓器となることは想像に難くない。
古事記神代巻に掲載された植物及び動物の名称は以下。
・植物:葛、葦、薄(すすき)、比々羅木、樺、桃、赤酸醤、蘿(つた)、檜、檍(もちのき)、椹(さわら)、眞賢木(まさかき)、茜、蒲陶、蒲黄(ほおう)、海布(め)、竹、海蒪(こも)等。
・動物:鵼(ぬえ)、雉、鷄、千鳥、鴨、翠鳥(そにとり)(すいちょう:カワセミ)、鵜、鼠、蜂、蠅、白兎、猪、鷺、蛾、蟾蜍(せんじょ:ヒキガエル)等。
この中で蒲黄、桃は、現にこれを治病の用に供せられたことは既に記した。(「禁厭」「藥物内用」)
思うにその他のものも薬物に応用されたであろう。

周時天下太平、越裳献白雉、倭人貢鬯草 食白雉服鬯草
~論衝巻第八

成王之時、倭人貢鴨草
~論衡巻第十九
周の時は天下太平、越裳(ベトナム付近の国)は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す、白雉を食し鬯草を服す
……論衝・儒増篇第二十六

成王の時、倭人は暢草を貢ず
……論衡・恢国篇第五十八
「鬯」の字は「鴨」で鴨草=香草のこと。 「祭祀に酒に和して地に灌げば其氣を高遠に達して以て神を降すの効あり、後に返魂と名づくるものならんと云ふ。」 「按するに周成王の時は我邦の神代の末に當る、乃ちこの香草の當時我邦にも行はれたるを知るべし。」

(※周成王 -在位:紀元前1021年~1002年頃-)
(※上記富士川游氏引用文中、論衝巻第八(儒増篇第二十六)の「倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 -倭人は鬯草を貢す、白雉を食し鬯草を服す-」の後に原文では「不能除凶 -凶を除く能わず-」と続き、迷信批判のような文章になっています。)


佐藤方定は「備急八訳新論三巻」で、仁古太(人参)於宇(附子)保寶加志波(厚朴)阿満紀(甘草)依毘須加良美(胡椒)爾須那(丹砂)伊奴万面(巴豆)飫賓師(大黄)の八薬を挙げ、我が国の神代時代より既に存在していたと詳述している。


水治法
沐浴、灌水などの単純な水治法は神世七世末より行われていた。
身体の汚穢(おわい)は疾病の原因となるので祓除(ふつじょ)して治療していた。

大神大穴持命御子、阿遅須枳高日子命、御髯八握于生(おつるまて)、晝夜哭坐(なきまして)之、辭不通、云々、
爾時其津水吸出、而御身沐浴座(そそきましき)、云々
~出雲國風土記
大神大穴持命の御子、阿遅須枳高日子(あぢすきたかひこね)命、御髯(みひげ)八握(やつか)に生(お)つるまで、晝夜哭き坐して、辭(こと)通はずありき、云々、
爾の時其の津水吸い出だし、御身沐浴(そそ)き座しき、云々
……出雲國風土記
其俗信巫、疾無醫藥、病者裸而就水濱、杓水淋沐之、面四方、呼其神、誠禱即愈
~兩朝平壌録(巻四)潜確居類書(巻十三)等
其の俗巫を信ず、疾(やまい)醫藥無く、病者裸(はだぬ)ぎ而も水濱に就く、杓水淋(したた)り沐(こうむ)り之く、面四方、其の神を呼び、誠に即ち愈を祷(いの)る
……兩朝平壌録(巻四)潜確居類書(巻十三)等
※兩朝平壌録:中国文禄の役(壬辰倭乱)の記録。諸葛元声著。  潜確居類書:明末、陳仁錫著。

上記我が国太古の風俗を記したものにあるように、当時我が国では医薬を内用するよりも(無醫藥というのは誤聞である)水治法などの自然治癒力を採用することが多かったと知るべき。

温泉治療は大穴牟遅神、少名毘古那神の頃に始まった。

湯郡、大穴持命、見悔耻、而宿奈毘古那命欲活、而大分速見湯自下樋持度來、以宿奈毘古那命、浴瀆者、蹔間、有活起居、然詠曰、眞蹔寢哉、踐健跡處、今在湯中石上、凡湯之貴奇、不神世時耳、於今世、染疹痾萬生、爲除病存身要藥也
~伊豫國風土記
湯の郡、大穴持命、見て悔い耻ぢて、宿奈毘古那命を活かさまく欲(おもほ)して、大分(おほきだ)の速見の湯を下樋より持ち度(わた)り来て、宿奈毘古那命を、漬し浴(あむ)ししかば、暫(しまし)が間(ほど)に、活起(いきかへ)りまして、居然(おだひ)しく詠(ながめ)て曰く、眞暫(ましまし)寢つる哉、踐(ふ)み健(たけ)びましし跡處、今も湯の中の石の上に在り、凡て湯の貴く奇しきことは、神世の時のみにはらず、今の世に、疹痾(やまひ)に染める萬生(ひとびと)、病を除(い)やし身を存(たも)つ要藥(くすり)と爲せり
~伊豫國風土記


灸法及び按摩
灸および按摩は我神祇時代の記録に見えない。

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