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2010/10/06

富士川游「日本医学史」まとめ1(太古の医学)

「日本医学史」富士川游著の第一章「太古の醫學」までようやくテキスト化。
「按摩Pukiwiki」にアップしておきました。

「日本医学史」富士川游著:按摩Pukiwiki

原文は国立国会図書館近代デジタルアーカイブのデジタルデータを利用しましたが、一元流鍼灸術「知一庵」にも同書のデジタルデータがアップされているので、そちらも参考にしました。

・国立国会図書館:近代デジタルアーカイブ:日本医学史
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833360/1

・日本医学史:富士川游(一元流鍼灸術:知一庵)
http://1gen.jp/kosyo/054/mokuji.htm


第一章は神祇時代の医学史なので、古事記や日本書紀などからの引用、しかも漢文(白文)が多いです。
ですので、ぼくが理解しやすいように漢文も読み下し文を添えてまとめてみました。
(まだ一部ですが)


醫學上の神祇時代

富士川游氏は、天地初発の造化三神(天之御中主、高皇産霊神、神皇産霊神)から神武天皇より九世九代を経た開化天皇に至るまでを「医学上の神祇時代」と定義しています。
この神祇時代の我が国の文化は、所謂石器時代から青銅器時代を経て鉄器時代に移った後。


醫人の鼻祖

国史により大穴牟遅命と少名毘古那命が日本における医学の始祖とされることがあるが、その事跡は日本書紀にある「両神は力を戮せて天下を経営し、また蒼生(ひとあおくさ)のために病を療する方法を定め、鳥獣昆虫の災異を祓う爲に禁厭の法を定めた」や、古事記に大穴牟遅命が稲葉の白兎の負傷を療治したことを伝えるのみで、両神が定めた治療法の記述もない。
大穴牟遅命と少名毘古那命の両神は、当時広く世に行われていた療病法を収集し治療方法を定めたのであり、いわゆる日本医学の始祖とするにはあたらず、我が国初、第一の医人とすべき。

我大穴牟遅神、少名毘古那神も同しく歴史上の人にして、少名毘古那神は外國より來りし人、大穴牟遅神は外國より來れる素戔嗚尊と斯邦土人との間に生まれたる種族のものにして、共に當時の名醫なりしならん、祖先の功徳を崇拝して神として神として之を祭つることは我邦太古よりの習俗なれは、この兩神も後に至りて神として崇められ、又醫方の鼻祖と仰がれたるなり、而かも眞に醫方の鼻祖にはあらず、國史に明記せる所に據りて之を我邦第一の醫人とすべきのみ。


神祇時代の医学

あらゆる学問はその初めは知識を渇望するが故に生じるものではなく、必然的需要に迫られてその基本を構築してゆくものだが、医学の歴史もまず具体的治療法がその発端をなしている。
解剖学及び生理学に関しては、わずかに身体外形に一定の名称を付けるのみで、霊魂により肉体を支配していると信じる程度であり、我が国神祇時代の医学はそのほとんどが治療法であり、これに病理学の初歩を加え更に解剖学及び生理学の萌芽を交えたものであった。


神祇時代の病理学

「疾病は神の意により起こる(疾病は神の罰)」

人はさらなり、天も地も、みな神の靈によりて成れるものなれば、天地の間なる吉事も凶事も、すねて神の意なり現人(うつしひと)の顯に行ふ事(顯露之事-あらはこ-)の外に幽事(神事-かみこと-)あり、顯はには目にも見えず、誰爲(たがな)すとともなく、神の爲し給ふ業なり
~「古事記傳」本居宣長著

於是、天照太神見畏、閇天石屋戸而刺許母理(さしこもり)座也、爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜徃、於是萬神之聲者狭蠅那須(さばえなす)皆滿、萬妖(わざわひ)悉發
~古事記
是に、天照大御神見畏(かしこ)み、天の石屋戸を閉(た)てて刺許母理(さしこもり)座しましき。爾ち高天原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し、此に因りて常夜往く、是に万の神の声は狭蠅那須(さばえなす)皆満ち、万の妖(わざわい)悉に発(おこ)りき。
……古事記・上巻・天石屋戸籠

此天皇之御代、役病多起、人民死、爲盡、爾天皇愁歎而、座神牀之夜、大物主大神、顯於御夢曰、是者我之御心、故以意富多多泥古而、令祭我御前者、神氣不起、國安平
~古事記・水垣宮の段
此の天皇の御世、疫病多に起り、人民死して、尽きむとす、爾に天皇愁ひ嘆きたまひて、神牀(かむとこ)に坐しませる夜、大物主大神、御夢に顕はれて曰(の)りたまはく、是は我が御心ぞ、故に意富多多泥古(おおたねこ)を以て、我が御前を祭らしめたまはば、神気起らず、国安く平らかならむ。
……古事記・中巻・崇神天皇

布斗摩邇邇占相而求何神之心、邇崇出雲太神之御心也
~古事記・玉垣宮段
布斗摩邇(ふとまに)に占相て何の神の心ぞと求めたまひしに、爾(そ)の崇(たたり)は出雲の大神の御心なりき。
……古事記・中巻・垂仁天皇

時皇后傷天皇不從神教而早崩、以爲、知所崇之神、欲求財寶國、云々
…中略…
既而神有誨曰、和魂服玉身而守壽命、荒魂爲矢鋒而導師船、云々
~日本書紀巻九、氣長足姫尊の條
時に皇后天皇の神教に従わずして早く崩れまししことを傷み、以為(おもおさく)さく、祟りたまう所の神を知りて、財宝(たからもの)国を求めんと欲う。云々
…中略…
既にして神誨(おし)うること有りて曰く、和魂は王身(みみ)に服(したが)いて寿命(みいのち)を守らん、荒魂は先鋒(みいくさのさき)として師船(いくさのふね)を導かん。云々
……日本書紀巻九・気長足姫尊(神功皇后)


「神の意」は「神気」「神の祟り」ともいい「疾病は神の罰」と信じられるようになった。
また、当時は生きている神(または人)の霊だけではなく、死んだ人の霊も祟りをなして疾病を起こすと思っていた。


「疾病は災害なり」

次生素戔嗚尊、此神有勇悍以安忍、且常以哭泣爲行、故令國内人民多以夭折
…中略…
一書曰、次生素戔嗚尊、此神性惡、常好哭恚、國民多天、青山爲枯、
~日本書紀神代上巻
次に素戔嗚尊を生みたまいき、此の神勇悍(たけく)安忍(いぶり)にまして、且(また)常に哭泣(なきいさつる)を以て行(わざ)と為したまう、故れ国内(くぬち)人民(ひとくさ)を多(さは)に夭折(あからさまにしな)しめて
…中略…
一書に曰く、次に素戔嗚尊を生みたまう、此の神性悪(ひととなりさがな)くして、常に哭き恚(ふづ)くことを好み、国の民多(ひとくさは)に死に、青山は枯(かれやま)になりぬ。
……日本書紀上巻

天皇獨與皇子手研耳命、帥軍而進、至熊野荒坂津、時神吐毒氣人物咸瘁
~日本書紀巻三・神日本盤余彦天皇の條
天皇独皇子手研耳命(たぎしみみのみこと)と、軍を帥(ひき)いて進みて、熊野の荒坂津に至ります、時に神毒気(あやしきいき)を吐きて人物(ひと)咸(ことごと)に瘁(お)えぬ。
……日本書紀巻三・神日本盤余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)の條

煩神、八十禍津日神、大禍津日神等の特殊な神(荒ぶる神)による暴力蛮行による疾病もまた災害と同義。


人身の穢氣惡毒により生じる病

伊邪那岐神が黄泉國にて汚穢に觸して煩神、禍津日神、素戔嗚神等の惡神を産みしが如き、これなり。

人身の不祥の行爲により生じる疾病

伊邪那岐神、伊邪那美神が天柱を廻ぐるとき、陰神先ず唱えしこと、陰陽の理に違へりとて、生れたる神(蛭兒神)が三歳に至るも脚尚ほ立たざりしと云ふが如きこれなり。

人身に穢氣、惡毒があり、またはその行爲に不正があれば、当人のみならずその毒を子孫に伝えるという。
これは後にいう胎毒であり、疾病の先天性原因を認めている。


行為を全うしないが故に生じる疾病

行来度海、令一人不櫛不沐不食肉、不近婦人、名曰持衰、云々、如病疾遭害、以爲持衰不謹、便共殺之

~後漢書 ~魏志(倭人傳)杜佑通典(東夷上)等諸書

行来度海に、一人櫛沐(しつもく)せず肉を食せず、婦人を近づけず、名を持衰と曰う、云々、如し病疾、害に遭えば、持衰の謹まざるがなりと、便(すなわち)共に之を殺す。

……後漢書(東夷列伝)他、魏志(倭人傳)、杜佑通典(東夷上)等の諸書

自衰とは肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くなるを云ふものにして、其行を修むることの謹嚴ならざるより疾病を起すことを説く。


偶然の事故や自然に生じる疾病

伊邪那美神が火神を産みしとき、悶熱懊悩を生ずることあり、素戔嗚尊が宮殿の下に陰かに糞を入れ置けるに天照太神これを知らずして糞上に座し、よりて擧體不平と云ふが如きこれなり。

この場合にありては毒物に中あたりて疾病の起ることあるを認めたるなり。

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