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2010/03/30

閉塞的なインターネット

インターネットが一般化してきて、HPやブログが急速に増殖してきたここ数年。
専門的な事柄でもたいていのものは検索でヒットするようになり、便利は便利になったのですが。

なんとな~く漠然と、息苦しさも感じており。

それが、この本(2009年7月邦訳出版)を読んで「なるほどぉ」と得心しました。

サイバービア ~電脳郊外が”あなた”を変える~ ジェイムズ・ハーキン著

クレイ・シャーキーというニューヨーク大学の研究者が、二〇〇二年に四百三十三のブログをサンプルとして取り上げ、互いに参照しているリンクを数え上げた。
シャーキーによると、全体の十二パーセント以下のブログがリンクの半分を占めているという「ひどくアンバランスな」構造だったそうだ。

  …中略…

相互リンクを張るのが当たり前のブロガーたちの馴れ合いに加えて、情報フィードバック・ループがすぐに生まれ、新たなトラフィクが古くからのブロガーに有利に働くように巡回するようになったのだ。
ブロガーは優に数百万人はいるだろうが、その大多数は人目につかずせっせと書き込んでいるだけだ。
なぜなら……タグ付けなどで興味を引こうとしても……興味を持ってくれる人などだれもないのだから。

Google検索では被リンク数が多ければ検索上位に並ぶということは知っていましたが、こうした具体的なデータを見ると、あらためて「なるほど」と思います。

でも、「興味を持ってくれる人などだれもないのだから」という言葉は、ちょっと身に染みます。
もちろん更新頻度がめちゃ少ないせいでもありますが、このブログの閲覧者数はかなり少ないのです。(^^;
(とはいえ、数年前、まだブログが爆発的に増殖する前は、そこそこカウンターも回っていたのですよ、実は)

二〇〇四年十月から二〇〇五年三月にかけて、コロンビア大学の三人のソーシャル・ネットワーク理論家がウェブを使い、一万四千人以上の若者に呼び掛けて、比較的無名のバンドの楽曲を評価して気に入った楽曲をダウンロードしてもらうという興味深い実験を行った。
彼らはまず被験者を二つのグループに分けた。
一つのグループには他人の評価と関係なく判断するように頼む一方、もう一つのグループにはそれぞれの楽曲がダウンロードされた回数を上位から順に並べた……つまり実質的には仲間内でどの楽曲人気が高いかわかる……表を見せたのだ。
結果は一目瞭然だった。
表を見ることができたグループのほうが、表の中で上位に入っている楽曲を高く評価して、これらの楽曲をダウンロードする傾向が強いことがわかったのだ。
要するに、人は他人が好きな楽曲を好きになりやすい。
このことから、この第二のグループの評価結果を予測するのは非常に難しい。
なぜなら最初に評価を下した人の傾向に全体が同調していってしまうしまうからだ。

この評価傾向はちょっとビックリ。
気になる商品や書籍は、意外とレビューや評価をかなり盲目的に参考にしていましたから。

ネットには、こういった”前へならえ傾向”があるのだということは、頭の片隅に置いておいた方が良さそうですね。

ノバート・ウィーナーも、そのアイデアを借用した電子(エレクトロ)ヒッピーも、最初に思い描いたサイバネティックス的人間とは、連続した情報ループの中で常にメッセージを発信し、周囲の環境と自分が環境に与えている影響に関するフィードバックに応じて自ら調節するものだったはずだ。
ところが、ネットのおかげで情報ループがすべての人に公開されている今、人々は他人が選択するたびに、その選択に関する電子フィードバック・ループに合わせて自分の意志とは関係なく調節せざるを得なくなっている。
コロンビア大学の研究者たちが本当に発見していたのは、他人の選択を常にフィードバックする評価表を目の前にすると、サイバービアの住人はオンラインでつながった仲間(ピア)内ですでに人気の高いものを指示するということであり、最初に高く評価された楽曲は、電子フィードバック・ループの中で人気が高まりつづけるということだったのだ。

  …略…

平等な世界だと思って来てみると、平等な人もいれば平等でない人もいて、上下関係がはるか昔に決まっていたことにすぐに気づく。
身近な相手といつもコミュニケーションをとりながら暮らすため、やがて息がつまってくる。
一旗揚げようとサイバービアに詰めかける人が増えるにしたがって、サイバービアの道しるべは救いがたいほどわかりにくくなってきた。
サイバービアでは膨大な量のトラフィックが駆け巡っているが、大半はぐるぐる回っているだけのようだし、サイバービアにはあふれるほど住人がいるにもかかわらず、人々は趣味の合う相手としかつき合わず、明らかに仲間(ピア)の意見に左右されがちだった。

世界に開いていて無限の可能性を秘めているインターネット、ではあるけれど。
ぼけ~っと相変わらずな使い方をしていると、狭い情報ループの中でぐるぐるしちゃうんですよね。

検索することを考えてみても、もっともっと自分のパターンを壊した柔軟な使い方をしないとなあ、などと思ってみたりはするものの。
相変わらずな検索単語の選び方をしちゃったりしている訳で。
道具は、工夫しつつ独創的に使いこなさないと、閉塞的ループ環境から出られませんね。(^^;

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2010/03/23

指の周辺感覚

プラバさんから視力回復がらみで周辺視野の話を聞いていたら、ハタと思い至りました。
相手の体を母指で揉んでいる時、皮膚や皮下組織の感触は主に母指の側面、周辺感覚(触覚)で感じ取っているのだということ。

皮膚の遊びの範囲内で微かに母指を横にズラすことで、母指直下では筋肉の凝り表面の形をなぞりつつ、なおかつ母指側面で皮膚や皮下組織の質感を動的に感じ取っていたのでした。

なるほど。
昔オイルマッサージをしていた時、按摩で得られる感覚情報がごっそりなくなり、まるで目隠ししながらマッサージしているような感じがしていたのですが。
ぼくが大切に思っている皮膚や皮下組織のあの感触が、オイルマッサージでは得られなくなっていたのでした。

(もちろん、オイルマッサージに習熟した人は、ぼくの按摩とは違う触覚チャンネルであの感触を拾い上げているのだと思います。)

ぼくのマッサージ(按摩)では、筋肉の凝りはもちろん皮膚や皮下組織の質感は同様かそれ以上に大切な要素になっています。
この全身を覆う皮膚は、自己と外界を隔てるものでもありますが、自己と外界を繋ぐものなのですから。

その質感は、外界とのコミュニケーションの質(感覚や感性の拡がり)や自己の在り方まで表している、と個人的経験的には思っているのです。


それにしても、今までは感覚しているのは母指の真下部分だと思い込んでいたのですが、なるほど母指も立体3Dな訳で。
両側面でも感覚しているのが当たり前ですよね。

頭はどうしても平面で考えがち。
気をつけねば。

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2010/03/17

眼球の凝りがゆるむ

前回書いた中山式ビジョン・セラピーのトレーニングは毎日続けています。
トレーニング後は、PCのディスプレイから顔の位置を遠ざけないと、ちょっとクラクラするようになります。
それくらい視力はアップするみたい。

ところで、「クロージング&オープニング」で10秒間眼球を絞るように眼をつぶる際、今日は顔全体をすぼめるように思いっ切りまぶたをつぶってみました。
すると、当然のように眼球には多少鈍い痛みが生じ、閉じた視界の中に光線が飛び交います。
これは、閉じたまぶたの上から指で眼球を圧迫した時に現れる光と一緒。

ところが、鈍い痛みも光も最初だけで、二回目以降はないです。
これって、凝っていた眼球(または周囲の筋肉)がゆるんだってことですよね。
というか、感覚的には明らかにそうです。

まぶたでの自力眼球圧迫って効きますね。

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2010/03/15

視力アップと輝く瞳

以前、テレビで中川式ビジョン・セラピーが紹介されていました。
ビジョン・フィットネスセンター所長の中川和宏さんが紹介する視力回復トレーニングなのですが、一日数分のトレーニングで視力をアップさせるというもの。

目にまつわる筋肉のストレッチにもなりそうなので、時々やっていました。


■クロージング&オープニング

まず10秒間目をギュッとつぶります。
眼球をギューッと絞るように、自分のまぶたで強圧する感じ。
次ぎに目を見開いて真上、頭のてっぺんを見るつもりで出来るだけ眼球を上後ろに回します。
この時、頭は極力動かさないように、目と一緒に上を向かないようにします。
これも10秒間。

目を閉じる時も見上げる時も、往々にして呼吸を止めてしまい勝ちなので、呼吸を忘れないようにした方が良いと思います。
呼吸を止めると、無駄に緊張してしまうので。

真上が終わったら、また眼球を絞るように目を閉じ10秒間。
次は真下、おヘソを見るつもりで極力眼球を下後ろに回します。

この後も合間に眼球を絞るように目を閉じ、真横右を右後ろを見るように見、閉じ、真横左を左後ろを見るようにして、閉じます。

このトレーニングだけでもかなり面白いです。
ぼくの場合老眼がはじまっているせいもあるのか、他の3方向の時には感じないのですが、真上を見る時に目の上部の筋肉に鈍い痛みが走っていました。
おそらく他の方向に比べて筋力が衰え、筋肉が使えない状態になっていたのだと思いますが。
それが、このトレーニングを続けることで鈍いが痛みが減少していき、以前より上が見やすくなってきています。


■8の字を追う

片手の人差し指を顔に向けて目の前に置き、大きく横8の字にゆっくりと動かしていきます。
そして、動く人差し指を目で追います。

この時、横8の字は視野ギリギリくらいに大きく動かすと良いと思います。
眼球が大きく動いて、いかにも眼球運動を司る筋肉が気持ちよくストレッチされている感じがします。


■焦点のトレーニング

目の前で上を向けて人差し指を立てます。
その人差し指を、顔からすーっと遠ざけていき、またすーっと目の前に近づけます。
どれくらいやればいいのか忘れてしまったので、適当な長さやって終わり。

ところで、この中川式ビジョン・セラピーは昔プラバさんが触りの部分を受けたことがあるとか。
この焦点のトレーニングをやりながら「これ、焦点が合わない所に指が移動する時、なんかすんごい気持ち悪いんだよね」とつぶやいていると。
「こうやるといいかも」と教えてくれたのが以下の方法。

片手人差し指は焦点が合うちゃんと見える位置に置き、もう片方の人差し指は焦点がぼけはじめたあたりに置き。
両方の指を交互に見ます。
すると、焦点がぼけていた方の指も見やすくなるんです、これが。
焦点がぼける遠い方と近い方でやってみたら、すごく目が楽になり、部屋を見回して見ても視力が上がっているのがわかります。

そんなぼくを見たプラバさん、「プルさん、目がキラキラ輝いてるよ」とおっしゃいます。
え? と思い鏡を覗いてみると、ホント、瞳がキラキラ輝いているじゃありませんか。(@o@)
眼筋や眼球、水晶体がゆるむと、瞳の輝きが増すのかも知れませんね。

ん~。
中川式ビジョン・セラピー、面白過ぎる。(^^)

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2010/03/12

寝起きの乾いた目に朝の伸び

ここのところ、朝目覚めると目が乾いているのに気づきました。
まばたきをすると、なんか乾いた感じで気持ちよくないのです。

ふむ。
いつ頃からこうだったんだろ?
そういえば、以前は習慣化していた起きあがる前の伸びをしていませんでした。

という訳で、ふとんから起き出す前に、いろんな姿勢で伸びを4、5回。
伸びをする度にアクビが出、涙が出てくるのですが……。
一回伸びをするだけでは、目が潤いません。

3回目くらいから目が潤いはじめ、5回も伸びをしていると、目の周りがぐしょぐしょに。

これでようやく目がイイ感じです。

それにしても、これはドライアイというヤツなのでしょうか。
ともあれ、当分はまた寝起きの伸びをしてから起きあがるようにしてみます。

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2010/03/11

時々しあわせな仮想現実

ぼくは、世界を”ありのまま”には見ていなくて。
ぼくの思考や認識で、勝手に自分色の現実世界を造っているんですよね、たぶん。

ところで、ぼくは自分がしあわせに生きたいと思っているので。
自分がしあわせな感触を、体感イメージで味わってみたりします。
全身の感覚が、身軽に自由にのびのびと拡がって、ほのぼのニコニコあたたかくて優しい感じ……。

どうせなので、ぼくの身の回りの人たちも一緒にしあわせな感覚に包まれていると想像してみると。
想像して感じている、その瞬間は、ぼくの身の回りすべてが優しくてしあわせなのです。
「世界は、なんてしあわせなんだ」そんな感じ。

そして、すぐに。
いつものガサツな日常に帰還しちゃうのですが。

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2010/03/10

チベット仏教の大阿闍梨って……

発明家のDr.中松さんがチベット仏教最大宗派「ゲルク派」トップから「金剛大阿闍梨(あじゃり)」の位を授与されたとか。

・Dr中松、いきなりチベット仏教最高位に - 社会ニュース:nikkansports
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20100310-604443.html

中松氏によると、同氏は現地時間8日午前、インド・デリーの寺院で、チベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパから「金剛大阿闍梨」に認定された。 ティパから「『活仏(かつぶつ)』として仏教を日本に広めてほしい。 そのため仏教界の最高位を授けます」という趣旨のことを言われたという。

ゲルク派は、チベット仏教ダライ・ラマ14世(74)が属する最大宗派。
中松氏はこれまで、チベット仏教の修行をしたり、深く関係したことはなかった。
約1カ月前、ガンデン・ティパ側から突然、授与の連絡がきたのが発端という。
先方からは「日本に正しい仏教を広めてもらうために、日本を代表するような人に
『金剛大阿闍梨』の認定をしたかった」という説明があったといい、発明家として
の世界的な知名度や実績が高く評価され、中松氏が選ばれたようだ。

チベット仏教の大阿闍梨って、そんな感じで授与されちゃうんですか……。
なんだかちょっと拍子抜け。

昨年11月には、脳機能学者の苫米地英人さんがダライラマに次ぐカギュ派の最高権威、カルマパ17世法王直々に傳法大阿闍梨の称号を授与されているし。
ソースは不明ですが、過去に国際宗教連盟の代表中井天山さんという人も、チベット仏教最高位の大阿闍梨を授与されたそうで……。

ふうむ。

※追記
・桐山 靖雄:1993年  チベット仏教最高僧位「金剛大阿闍梨耶」と法号「智勝光明大覚者(ンガワン・リンズィン・テンペル)」授受
(ウィキペディアより)

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呼吸を開こう!

呼吸が浅くなると、自己感覚というか感覚が体内に引き籠もり視野がものすごく狭くなります。
思考できる枠組みも縮まり、狭い範囲内でグルグルと似たようなテーマを繰り返し反芻しちゃうことになったりし。

逆に呼吸が拡がると、感性が体外に広く拡がり世界観や視野が開放的になります。

なので、毎日の呼吸のストレッチは欠かせません。
特に毎日晩酌をして体に負荷をかけている治療師にとっては、最重要項目なのです。

拡げよう、呼吸! (^O^)

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2010/03/08

呼吸でストレッチ

治療を続けていて経験的に思うのは。
体側全般の緊張は、自己制御というか自分を制限するものではないか、ということ。
体側が緊張していると、その分、視野やフットワークが狭くなる気がします。

「脇を締める」という言葉からも、文字通り脇の下。
脇の下ばかりではなくて、胸側や腹側、大腿骨頭が位置する骨盤の横、太もも外側部、下肢外側部から踵の外側……。

いつも出来るだけ風通しのよい体でいたいので、当然毎日これら体側のストレッチをしているのですが、いわゆる伸ばすためのストレッチではなくて、楽に気持ちよく呼吸が入るためのストレッチをしています。

参考:「呼吸を開く」

体側を伸ばすいろいろなストレッチの姿勢を取りながら、伸びている側は特に留意せず、縮んでいる側、部分に呼吸を入れるようにして、吐く息とともにくつろぐ。

伸びている側は特に留意せずとも、ピンと伸びた感覚(ツッパリ感または痛み)が生じていて意識のフォーカスも集まっています。
逆に縮んでいる側はほとんど意識されず、感覚的には光の当たっていない暗闇です。
ここは縮んでいる側の感覚を呼び覚ますためにも、意識の光を当ててあげたいところ。

縮んでいる部分に呼吸を入れるように息を吸うことは、縮んでいる部分が微妙にうごめいて、その部分の筋肉が目覚める絶好の機会になります。
「呼吸を入れることが出来る」というのは、その部分が呼吸を入れるために「微妙に動くことが出来る」ということ。
そして、この呼吸で「微妙に動く」というのは、普通ストレッチで働きかけるような表層筋ではなくて、主に深部筋が働くことになります。

好きです、この感覚。(^^)

陰陽のバランスを重視するのが東洋思想や東洋医学ですが、陽が生じれば必然的にその裏には陰があります。
ストレッチで伸ばされる側は陽になる訳ですが、そこがそれ以上伸びないということは、その裏の陰にそれ以上陽を支えるエネルギーが無い、ということになります。
ですから、縮んでいる側に感覚や意識の光を当てるというのは、陰陽理論からいえば理に適うというか至極当然のこと。
感覚や意識の光が当たることで、陰のエネルギーが充実して余裕が生じると、逆の陽側もより自由に伸びることになっちゃうのです。

イケてますね、陰陽理論。(^^)

例えば、膝を曲げると膝頭周囲に痛みが走ったり腿がツッパったりする時、治療師であればまずその陰側にあたる膝の裏を確認することになると思います。
陰側の膝裏深くに凝りがあり、それ以上膝を曲げる(膝裏が縮む)ことを支えられない状態になると、陽側の腿がツッパったり膝頭周囲に痛みを生じさせて、それ以上膝が曲がらないようにしていることが多いです。

体は面白いですne。(^^)

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2010/03/07

デヴァヴァニ瞑想

数あるOSHO瞑想の中でも、幾分マイナーな感のあるデヴァヴァニ瞑想。
何せ、他のOSHO瞑想はCD版が用意されているのにもかかわらず、この瞑想だけはCD化されず未だにオーディオテープ版しかありません。
しかも、古い録音の為に音質も悪いです。(^^;

この瞑想、個人的にものすごく気に入っている瞑想のひとつです。
身も心もトロトロにとろけるように脱力し、静けさとあたたかさに包まれます。

1時間の瞑想として紹介されることが多いですが、当初は就寝前のくつろぎの瞑想としても紹介されていました。


毎晩、眠りにつく前に、ちょっとした技法をするとよい。
それは大いに役に立つ。
明かりを消し、あとは眠るだけにしてからベッドに入る。
十五分間座りなさい。
目を閉じて、短調で意味のない音声を出すようにする。

たとえば、「ラ、ラ、ラ……」、「ラァ、ラァ、ラァ、……」。
それから、心に新しい音が湧いてくるのを待つがいい。

ただ覚えておくべきことは、その音声や言葉が自分の知っている言葉であってはならないということだ。

   …中略…

何であれ知らない言語で話すことだ。
しばらくのあいだは、むずかしいだろう。
だが、それも最初の日だけだ。
知らない言語をいったいどうやって話せばいいのだろう。
だが、それはただ話されることならできる。

そして、ひとたびそれが始まれば、ただ意識を取り去って無意識に話をさせるだけで、音や意味のない言葉が出てくるようになる。

無意識が話すときには、それ自体は言葉を知らない。
これはきわめて古い技法だ。
それは旧約聖書に始まる。
当時は「異言(いげん)」と呼ばれていた。
アメリカのある協会ではいまでも用いられ、「舌でする話し」と呼ばれている。

これはすばらしい方法だ。
無意識のなかへ浸透してゆくもっとも深いもののひとつだ。

   …中略…

この十五分間は、心の意識的な部分をとても深くくつろがせる。

それから、横になって眠りなさい。
あなたの眠りはより深くなる。
数週間のうちに眠りはとても深くなって、朝にはまったく新鮮に感じるだろう。

    「新瞑想法入門」和尚 スワミ・デヴァ・マジュヌ/訳より


まだ言葉を話せない幼い子どものように、「らぁ、らぁ、らぁ……」または「んまぁ、んまぁ、んまぁ……」とささやくように話しはじめ。
あとは、唇が、口が動きたいように任せます。

もし顔を動かしたくなったら、言葉とともにアゴや頬、唇、鼻、目、額も、好きなように動きたいがままに動かします。
舌や口腔、鼻腔の中、口蓋の奥など、脳味噌の中身までうごめくかのように……。

昨日やったばかりなのですが、思い出すだけでもとろけそうになります。^^


実際にやってみようと思ったら、まずは1時間(4ステージ)の瞑想から入るとよいと思います。
最初は経験者とともにやるのがお勧めですが、テープを入手出来れば独習も可能かも知れません。
現在、この瞑想テープを入手出来るのは、日本では市民出版社しか知りません。

市民出版社:瞑想カセットテ-プ シリーズ 2

上記ページで詳細を確認してみて下さい。
e-mail、FAX、電話での注文に応じているようです。

以下が1時間のデヴァヴァニ瞑想の内容です。

■第1ステージ(15分間)
静かに座ります。この間、穏やかな音楽が流れます。

■第2ステージ(15分)
意味のない音声を出しはじめます。たとえば「ラ、ラ、ラ、ラ、ラ……」というように。
耳なれない言葉めいた音声がでてくるまでつづけます。
その音声は、言葉を覚える以前、幼児期に使われていた頭脳の、今ではなじみの薄い部分から出てこなければなりません。
穏やかな会話のような調子を保ちます。
泣いたり、叫んだり、笑ったり、悲鳴をあげたりしてはいけません。

■第3ステージ(15分)
話し続けながら、立ち上がります。身体がその音声と調和しながら、柔らかく動くにまかせます。
身体がゆったりとくつろいでいれば、自分の制御を超えたところで、微妙なエネルギーがラティハンを引き起こすでしょう。

■第4ステージ(15分間)
横たわって、静かに内側を見守ります。

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2010/03/06

はじめてのガイドとの遭遇

先日、モンロー研究所のヘミシンク・メタミュージック「シャーマンズ・ハート」をお試し。

ザ・シャーマンズ・ハート Amazon

一度目は「なんとなくブレスセラピーをやってる感じと一緒かも」的感想でしたが、二度目にやった時はかなり没入。

流れる情景に漂い、そして情景の中を飛んでいく感覚。
現実に横たわっている体は意識出来るのですが、エネルギーというか感覚としての体が情景の中に漂い、そして飛んでいく感じ。

その内、視野の端の方に浮世絵にあるような年増のおかみさんがチラチラ出現し。
いきなり目の前にどアップでズームイン。

ひょっとしたら、これが噂に聞くガイド的存在なのかと。
「ひょっとして、ガイドっすか?」と聞くと、ニヤッとお笑いになられます。
メッセージなんかを伝えてくれるという噂なので、その旨尋ねると。
「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

ふ~む。
これがガイド的なものでしたか。

いや、もちろん、人によってはもっと違う見え方感じ方なのかも知れませんが。
とりあえず、今のぼく的にはこんなものなのでしょう。

ところで、ガイドからのメッセージですが。
このセリフ、ぼくの内側から出て来たものです。
とはいえ、顕在意識的ぼくの想定外のセリフであり。
顕在意識的想定外とはいえども、感触としては何やら思い当たらないでもない……。

そう、そう。
この感触は前にもありました。

ぼくが信頼するサニヤシン(OSHOのお弟子)のひとり、マンガラのタロット・リーディングを受けている時の感触に似ています。
彼女のリーディングを受けている時、彼女の語る言葉は、まるでぼくが喋っているような感覚。
ぼくの顕在意識と無意識の狭間、または無意識の顕在意識近い所に漂っている想いを、彼女の口を通して聞いている、そんな感じ。

なるほど、そんな感触でした。
ヘミシンク、けっこう使えるツールかもですね。

ところで、ガイド(または、ぼくの無意識)から出て来た言葉ですが。

>「たまには遊びにいらっしゃいよぉ」と、江戸の町に消えていきました。

その後、顕在意識的にも明らかになって来たのは。
この、「たまには遊びにいらっしゃい」と招かれている場所は、身体のより深くて微細な感覚的世界。
「江戸の町」は、簡略に表現すれば、江戸期に書かれたものやその他古典の世界。

古典を通して身体の深くて微細な感覚的世界にもっともっといらっしゃい、みたいな感じでしょうか。

この後、下に書いている「五行(四気)を体感的に理解してみる」に、もっと深化した形で没入するようになるのですが、それもその内書くことになると思います。

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2010/03/04

五行(四気)を体感的に理解してみる(1)

五行(四気)を体感的に理解してみる(1)

東洋医学や占術、太極拳などの基本的理論となる陰陽五行理論・木火土金水ですが、慣れてくると木火土金水それぞれの概念は掴めてきます。
概念はなんとなく掴めるのですが、それらをもっとダイレクトに感覚的に理解してみたい。
そんな思いから、昨年あたりから五行を実感的に理解する練習をはじめてみました。

ところで、天地開闢説話としては中国の文献上最も古い記述といわれる「淮南子」天文篇に、五行のもととなるであろう四時から万物が生成される様が次のように描かれています。

==========================

天地未形、馮馮翼翼、洞洞灟灟
故曰太始
太始生虚鄠、虚鄠生宇宙、宇宙生氣
氣有崖垠、清陽者薄靡而成爲天、重濁者凝滞而爲地
精妙之合専易、重濁之凝竭難
故天先成而地後定
天地之襲精、爲陰陽、陰陽之専精、爲四時、四時之散精、爲万物

「淮南子」天文篇より

天地未だ形あらざる時、馮馮翼翼(ひょうひょうよくよく)、洞洞灟灟(どうどうしょくしょく)たり
故に太始という
太始は虚鄠(きょかく)を生じ、虚鄠は宇宙を生じ、宇宙は気は生ず
気に崖垠ありて、清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なる者は凝滞して地となる
精妙の合専するは易く、重濁の凝竭するは難し
故に天先ず成り、地のちに定まる
天地の襲精は陰陽となり、陰陽の専精は四時となり、四時の散精は万物となる

混沌と存在していた太始から虚鄠(きょかく)が生じ、その虚鄠から宇宙が生まれ、気が生じる。
そして、清陽の気は上って天となり、重濁な気は下がって地となる。
また、天地の精気は陰陽となり、陰陽の精気が集い四時が生まれ、四時の精気が散じて万物を生じる。

==========================

古代の人々は、このような天地開闢説話を理論的想像力で描いたのでしょうか。
それとも、瞑想的な深化により感知したものなのでしょうか。

そういえば、左脳的分析や時間と空間の観念が落ちた時、右脳的感覚では時間の観念や自他の区別がなくなり、存在との一体感の中でただただ至福に包まれると聞きます。
「奇跡の脳」ジル・ボルト著

個人的には、古代の人々が瞑想的に感知したものを土台として説話を描いたのであり、この宇宙開闢説話は時空を超えた次元のまさに”いま、ここ”に展開されているものなのではないか、などと妄想したりするのですが……。


この万物の元となる四時は、四気でもいいでしょうし四季でもいいと思います。
四季は地球が太陽の周りを公転することで太陽の熱エネルギー照射角が変化する春・夏・秋・冬。
四気は五行の木火土金水の中の四つのエネルギー状態、木・火・金・水。

四季や四気には土用や土が含まれていませんが、この土に関して「五行大義」第二辨體性に次のように述べられています。

==========================

居位之中、總於四行、積塵成實。積則有間。有間故含容。

(土は)位の中に居り、四行を総し、塵を積みて実を成す。積もれば則ち間あり。間有る故に容を含む。

土は中心に位置し、四行(木火金水)を統括し、塵を積んで実をなす。
積もれば間が出来、間があるからそこに容(かたち)をおさめる。

==========================

土は、中心に位置していて間に形をおさめ、四行(木火金水)を統括する。
考え方としては、この土を「四行(木火金水)が働く場」として捉えれば良いと思います。

例えば、肉体(脾体、脾臓・土)を場として肝臓(木)、心臓(火)、肺臓(金)、腎臓(水)のエネルギーが働く人体、というように。
また、家を場とした場合、朝日が昇る陽に晒される東側は木気を帯び、中天の陽に晒される南側は火気を帯び、沈む西日に晒される西側は金気を帯び、常に日陰に位置する北側は水気を帯びている、というように、場には常に四気エネルギーが働いています。


「五行大義」とは、先秦から隋の時代までの五行説を集成・分類したという書物。
中国では早くから失われてしまいましたが、日本へは平安時代初期の「続日本紀」に既に記述が見られ、日本の平安貴族文化、陰陽道、仏教などに多大な影響を及ぼした書物です。
「続日本紀」には陰陽道の教科書として記されていて、日本の陰陽道に早くから影響を与えていたことがうかがえます。
特に陰陽道の安倍、賀茂両家の陰陽師に与えた影響は大きく、両家の多くの書物中に「五行大義」の文字を見ることが出来ます。
また、日本神道に与えた影響も大きく、吉田神道、伊勢神道、山王神道に関する書物にも「五行大義」の文字は多く見えます。
室町時代以前の「五行大義」は特定の階級に属する、陰陽家、神官、僧侶、宮廷貴族など、ごく一部の人々の秘本でしたが、江戸時代に入ると転写本や版本が次々と出現し、ある特定の階級の独占的秘本としてではなく、一般民衆の実用書として広い階層の人々に親しまれるようになりました。
中でも平田篤胤はその著書の中に「五行大義」を縦横に引用しています。
本家中国では早くに失われ日本でのみ伝承された「五行大義」ですが、漢、魏、六朝時代の五行説に関する佚亡資料が多く含まれる貴重な書物です。
また、平安時代より陰陽道や神道、仏教に多大な影響を与えた他、江戸時代には文化的にも広く浸透したことがうかがわれますから、日本における陰陽五行のベースともなる書物といっても過言ではないと思います。
五行大義 (中国古典新書) 中村 璋八 ¥ 2,625
ぼくの手許にある五行大義もこの本です。解説や現代語訳は下記の書籍のように全文にはわたっていませんが、巻末に解説や現代語訳が掲載されていない部分の漢文が掲載されていますから、かなり重宝しています。
五行大義〈上〉 (新編漢文選 思想・歴史シリーズ) 中村 璋八 ¥ 7,350
五行大義〈下〉 (新編漢文選 思想・歴史シリーズ) 中村 璋八 ¥ 7,350


個人的には、五行(木火土金水)を「場」とそこに働く「四気=四つのエネルギー状態(方向性)」というように捉えていますが、「五行大義」第一釋五行名から、この「四気=四つのエネルギー状態(方向性)」を伺わせる部分を抜き出してみます。

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木者冒也。言冒地而出、字従於屮。下象其根也。其時春。…略… 東者動也。震氣故動。
木は冒なり。地を冒して出づるを言い、字は屮(てつ)に従う。下はその根を象るなりと。その時は春。…略… 東は動なり。気を震う故に動なり。

火者炎上也。其字炎而上、象形者也。其時夏。…略… 夏假也。假者方呼萬物而養之。
火は炎上するなり。その字は炎えて上る形を象るものなり。その時は夏。…略… 夏は仮なり。仮はまさに万物を呼びてこれを養うなり。

土生於金。字従土、左右注。象金在土中之形也。其時秋。…略… 秋之爲言愁也、以時察守義者也。
土は金を生ず。字は土に従い、左右の記しは金の土中に在るの形を象るなりと。その時は秋。…略… 秋の言たる愁(おさめる)なり。時を以て察(あきらか)にするとは、義を守るものなりと。

水之爲言演也。陰化淖濡、流施潜行也。…略… 冬終也。萬物至此終蔵也。
水の言たる演(ながれる)なり。陰化して淖濡(うるお)し、流施潜行するなり。…略… 冬は終なり。万物のここに至って終り蔵(こも)るなりと。

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そういえば以前、東洋医学の古典「黄帝内経素問」四気調神大論篇のことを書いていましたが、そちらの方が四気のエネルギー状態はわかりやすいですね。
転載しておきます。

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春三月、 此謂發陳、 天地倶生、 萬物以榮、 夜臥早起、 廣歩於庭、 被髮緩形、 以使志生、 生而勿殺、 予而勿奪、 賞而勿罰、 此春氣之應養生之道也。 逆之則傷肝、 夏為寒變、 奉長者少。
(意訳)
春の三ヶ月間を発陳といいます。(発陳:古いものから新たな生命が芽生える様)
天地が新たに生じ、万物が栄える時です。
夜は暗くなると共に寝、朝は早めに起きましょう。
庭をくつろいで歩き、髪をきつく結んだりはせず、衣服もゆったりとしたものを着たいものです。
心の内から自然に意欲が生じる時です。
諦めたり抑圧したり無視せずに、暖かく見守り育むようにしましょう。
これが春気に応じて生を育む道です。
これに逆らえば肝を傷付け、夏には冷えを招き夏気の恩恵を受け難くなってしまいます。

夏三月、 此謂蕃秀、 天地氣交、 萬物華實、 夜臥早起、 無厭於日、 使志無怒、 使華英成秀、 使氣得泄、 若所愛在外、 此夏氣之應養長之道也。 逆之則傷心、 秋為痎瘧、 奉收者少、 冬至重病。
(意訳)
夏の三ヶ月を蕃秀といいます。(蕃秀:春に生じた陽気が溢れるように成長する様)
天地の気が交わり、万物は華開き充実する時です。
夜は暗くなると共に寝、朝は日の光を嫌わず日の出と共に起きましょう。
気持ちは伸び伸びと拡がるように開放的になっています。
華開くような気持ちや想いを押さえ込むと、その蓄積は爆発するような圧力(怒りなど)を生じさせてしまいます。
涼やかに発散的開放的に過ごしましょう。
もし外界に向かって気持ちが開かれ心惹かれるようであれば、これが夏気に応じた成長を育む道です。
これに逆らえば心(臓)が傷付き、秋に痎瘧(マラリアの一種)となったりエネルギーが収養するのを妨げることとなり、冬に至って病気が重くなります。

秋三月、 此謂容平、 天氣以急、 地氣以明、 早臥早起、 與鶏倶興、 使志安寧、 以緩秋刑、 收斂神氣、 使秋氣平、 無外其志、 使肺氣清、 此秋氣之應養收之道也、 逆之則傷肺、 冬為喰泄、 奉藏者少。
(意訳)
秋の三ヶ月を容平といいます。(容平:おだやかにおさめる様)
天の気は勢い強く、地の気は清らかに鮮明です。
日暮れと共に寝、朝は日の出のニワトリの声と共に起きましょう。
秋の収斂するエネルギーは、頑固さやこだわり、後悔や反省する気持ちを促す傾向もあります。
紅葉を眺めながら澄んだ空気を味わうように、引き締まる気持ちや収斂する秋気を味わいながら過ごしましょう。
外界の変化に過度に囚われないようにし、肺の気が清らかであるように過ごせれば、これが秋気に応じた養収の道です。
これに逆らえば肺が傷付き、冬に食物の陽気が漏れて下痢をしたり、内に陽気を保つことが難しくなります。

冬三月、 此謂閉藏、 水冰地斥、 無擾乎陽、 早臥晩起、 必待日光、 使志若伏若匿、 若有私意、 若已有得、 去寒就温、 無泄皮膚使氣亟奪、 此冬氣之應養藏之道也。 逆之則傷腎、 春為痿厥、 奉生者少。
(意訳)
冬の三ヶ月を閉蔵といいます。(閉蔵:陽気を伏蔵している様)
水は凍り大地は凍裂し、万物はみなその門を閉ざし陽気を内側深く胎養しています。
胎養している陽気を煩わせることがないよう、夜は早くから布団に入り朝はゆったりと遅めに起き、出来るだけ日光と共に生活するようにしましょう。
あたかも秘めたものを隠すような静かな気持ちで想いを温め、既にすべて達成したかのような満ち足りた心持ちで過ごしましょう。
汗をかいて皮膚から陽気が奪われないようにし、温かく過ごせば、これが冬気に応じた閉蔵の道です。
これに逆らえば腎が傷付き、春になって手足が効かなくなったり重ダルくなったり、陽気を生じ難くなります。

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これら「五行大義」第一釋五行名や「黄帝内経素問」四気調神大論篇から、場である土に働く四気のエネルギー状態を視覚的簡略図にすると下図のようになります。


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木は場を貫いて内部から外部へ、金は場を貫いて外部から内部へのエネルギーの方向性があります。
それに対して、水は場の内部にあって求心的、火は場の外部にあって遠心的なエネルギーの方向性があります。

なんだか無駄に長くなってしまいましたが(^^ゞ、五行(四気)の体感的理解の方法は次回書いてみます。

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ミニ掲示板(ブログパーツ)設置

世はツイッターなるものが大流行とか。

ずいぶん前にツイッターのアカウントは取っていたのですが、どう使ってよいのやら見当もつかずに放置したまま。

ツイッターでなくとも、たまにつぶやいてみたい時もあったりなかったりする訳で。
ブログパーツのミニ掲示板を設置してみました。

まあ、せっかくブログを持っているのですから、ブログでつぶやけばいいものを、なんて思ったりもしますが。
なんか「ブログに書くまでもないか」なんて、妙にブログの敷居が高く感じられているのも事実だったりし。

ミニ掲示板でつぶやくことが、ブログの更新に繋がるかも知れず。
なにはともあれ、ブログ右下にお試しに設置してみたのでした。

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