モンロー研究所のヘミシンクと瞑想の個人的感触の違いを「ヘミシンクと瞑想の違い」として書いてから、時々座禅のようにただ座る瞑想を30~40分やるようになりました。
思えば若い頃、このただ座る瞑想が苦手でした。
今でもそうなのですが、子どもの頃から「落ちつきの無さ」には自信がありますから。
座る瞑想が好きになったのは、14年前の1995年、インドのOSHOコミューンで「ミスティック・ローズ瞑想」に参加してから。
1日3時間計3週間のグループで、最初の一週間は3時間ひたすら笑い続けます。
変な瞑想でしょ?(^^;
でも、かなり強烈で効果的な瞑想なんですよ。
この最初の1週間は、グループ以外でもいつも笑いの質をまとって暮らすことになります。
現代人のクセのようになっている深刻さは、アッサリとこの笑いの質で消えちゃいます。
次の1週間は泣き。
毎日3時間、ひたすら泣き続けます。
変な瞑想でしょ、やっぱり。(^^;
この1週間は、しっとりと落ち着いたスペースで暮らすことになります。
悲しみやつらさ苦悩、恐怖や痛みなど思い出したりしますが、感謝も溢れるようにやってきます。
大好きです、この泣くという質。
で、最後の座る1週間。
落ちつきの無さ加減には絶大な自信を持っていましたから、3時間(50分か55分を3セット、だったと思う)を1週間、果たして続けられるかどうか不安でした。
が、しかし。
始めるや否や、その不安はアッサリと消失。
「あぁ、一生座り続けたい……」と思っていたんですから、人生ってわからないものですね。
というか、それほどこの「ミスティック・ローズ瞑想」が偉大だということでしょう。
ん?
何故「ミスティック・ローズ瞑想」のことを思い出したんだっけ?
あ、そう、そう。
例えば、瞑想経験のない人が、いきなり座禅を30分、というのはけっこう難しいのではないかと思います。
座って数分後には、思考や妄想が駆け巡り、落ち着かなくなってきますよね、たぶん。
でも、この「落ちつきのなさ」が、実はかなり興味深いシロモノなんです。
以前「体感としての想いや情動」にフォーカシングのことや想いや情動の体感的側面のことを書きましたが、それらを実感するよい機会になると思います、数十分間の座禅って。
基本的にぼくが座る時、お尻に下には座布を敷き、若干お尻が高くなるように座ります。
こうすると、無理なく背筋が立ちやすいです。
座布がなければ、クッションなどで代用しても可。
足は結跏趺坐なんて高度なものじゃなくって、適当にあぐら。
両手は開放的に開いて上を向けたまま両腿の上に楽に乗せます。
はじめ、頭のてっぺんが軽~く糸で引っ張られているようにイメージして、背筋が無理なく自然に立つようにします。
無理に真っ直ぐにしたり、緊張しないように。
最初にこうやっておいて、後は忘れてよいと思います。
そして、目を閉じ、くつろぎます。
ぼくの場合は、呼吸につれて微妙に膨らんだりしぼんだりする体の感覚を、くつろいで眺めています。
瞑想は何かを発見したり達成するのが目的ではなくて、「観照者で在ること」なのだと思います。
体の感覚を眺めてはいますが、観照者はその対象である感覚ではなくて、眺めている観照者、意識でしかありません。
意識に映り、流れていく感覚に巻き込まれず、自己同化せず、ただひたすらに淡々と観照者で在り続けること。
ぼくが理解している瞑想って、そんなところだと思います。
なので、「ヘミシンクと瞑想の違い」を書いてから、あくまでヘミシンクはひとつのツールとして楽しく活用しています。
ある変性意識状態にフォーカスすることが出来れば、次にはそのような意識状態に巻き込まれずに、あくまでひとつの流れゆく感覚対象として眺められます。
さて、座り始めて落ち着かなくなって来たらチャンスです。
落ちつきのなさ、居心地の悪さは、思考の産物でもありますが、体の衝動や感覚でもあります。
体の感覚としての落ちつきのなさや居心地の悪さを感じてみましょう。
おそらく、イライラにも似た体の衝動やうごめき、エネルギーが、お腹や胸のあたりに感じられるのではないかと思います。
もし"それ"が感じられたらラッキーです。(^^)
"それ"を排除したり感じないようにしたりするのではなくて、ただその感覚を眺めてみましょう。
"それ"は決して固定したものなんかではなくて、流動的な衝動やうごめき、エネルギーです。
必ずうごめきや流れ、拡がりなど、なんらかの動きがあります。
"それ"に大して葛藤したり緊張したりすると「固定的」に感じられますが、くつろいで眺めることが出来れば、実感として流動的なエネルギーなのだと理解しはじめます。
楽しい~。(^^)
ここまで来れば、あとは眺めているだけです。
そのエネルギーは、見守られることによって動き出し、拡散したり流れていったりして消えるだけ。
感覚は開いたまま、くつろいで、深く、深く、自分の中に、沈黙の中に沈潜していきましょう。
あ、そう、そう。
以前4つ書いた「武術書に見る病を去ること」で書きたかったことも、こんなことです。
ヘミシンク関連の記事は右にまとめてあります→「のたりヘミシンク」
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