友だちのsanちゃん(sandesh)からコメントがあり、長くなりそうなので表でレス。
お久しぶり、sanちゃん。(^^)
>脳に関心もったきっかけは、最近物忘れがひどくなってきたこととか、知人がパーキンソン病になったこととかです。
そうだったんだ。
歳取ると、確かに物忘れひどくなるね。
って、最近はそれがあまりに当たり前で気にならなくなってきたけど。
>そうだよね、茂木さんが言ってるけど人間が感じているいるクオリアはほんの一部だってことに、妙に納得している所です。
そう、そう。
クオリアの広大さと質の深さに関しては、ぼくが認識しているのはそのほんの一部なんだと、ホント、そう思います。
治療中に触れているその手や体には、ものすごく広大なクオリアが拡がっているのだけれど、認識出来ているのはごく一部な訳で。
例えば。
肩の深部の凝りに触れている親指は、深部の凝りと同時に指の側面で皮膚や皮下組織の触感も同時に感じており。
皮膚や皮下組織の弾力は、ある振動として身体周囲に拡がっているのが感じられ。
凝っている筋肉に沈めた指を微妙に進めていくと、硬くなっている筋肉全体の質感や弾力だけではなくて、胸郭上部の質感や弾力も感じられ。
これら個々のクオリアとともに、それを総合して感じられるクオリアもあり……。
こうして文字にしているだけでも、認識しているクオリアの一部しか記述出来ていなかったりする訳で。
そこに生起しているクオリア全体のことを思うと、無限の可能性が拡がっているようで果てしなく魅惑的です。
ところで操体法の創始者である橋本先生は、身体が病気になっていくプロセスを以下のようなモデルで表しています。
1・A=歪み(こり、しこり)
↓
2・B=感覚異常(苦痛、つっぱり感 etc)+(A)'
↓
3・C=機能異常(肩が動かない、下痢 etc)+(A)"+(B)'
↓
4・D=器質破壊(胃潰瘍 etc)+(A)'"+(B) "+(C)'
上記の1~4へのプロセスは可逆的で、治癒のプロセスは4~1を辿ることになるのですが。
おそらく操体法では、主に2や3の感覚異常、機能異常を「気持ちよく動く」というアプローチで正常化プロセスに向けるのだと思います。
操体法のアプローチの面白さは、例えば感覚異常に対して異常さにフォーカスを当てないことだと思われ。
そもそも異常な感覚(痛みなど)には、否が応でもフォーカスが当たってしまっているので、反対の気持ちよさや感じやすさにフォーカスを当てようという試み。
太極から観た陰陽で、陰だけではなくて陽にもフォーカスを当て全体性を回復する試み、といえるかも知れないです。
クオリアでいえば。
感じやすさや心地の良い快的クオリアの幅と質を深めていくことは、個人の全体性の幅と質を深めていくことにもつながるのではないか、と思ってみたりし。
更に全体性という意味では、ポジティブな快的クオリアを深めることは、ネガティブな不快的クオリアへの理解にもつながるのではないか、とも思ったりもします。
ともあれ、治療師としての経験的理解では「感覚の回復→凝りの正常化」は事実だと思われるので、自分の体で鋭意実験中。
自分を按摩する訳にはいかないので、日常の様々な場面で感覚を意識化することで感覚回復を図ってます。
身体全体の皮膚感覚の回復、覚醒は、身体全体の軽さ、風通しの良さにつながるのは体験済みで。
上半身、特に首や肩、足の筋肉感覚の回復で凝りが減少するのも体験済み。
今は、上記のものに加えて背中と腰の深部の凝りにチャレンジ中。
>色、音、香り、は当然として五感では感じることのできない、でもすごいリアルに感じる形而上のクオリアもあるよね。
うん、うん。
例えば、感謝とか愛とか呼ぶような。
リアルな、拡がり感をともなうような、ある感触。
>アートしている人って、すごく敏感なのは「クオリア」をとても大切に扱うので、すごく「わがまま」に見えるんだな。でもそんな人に限って、とても何かが「輝いて」見えるのはぼくだけかしら。
同感です。
そしてクオリアを大切にしている人が好き。(^^)
ところで、クオリアという言葉を知ったのは昨日だったのですが、哲学や心理学、ロボットや物理学とかでは、微妙にその意味や定義が違ったりするみたいですね。
もちょっと勉強してみます。
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