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2008/04/11

養生書「寝ぬ夜の夢」を読む 2


彼の「養生訓」に書ける内慾をこらへよ、外邪を防げ、飲食はうすくせよ、色慾はこらへよ等の事みなこれ術(すべ)なり。
行ふを惡しきといふにはあらず、道に遊ぶことを知らざれば必ず拘(かかは)るに至る。
拘(かかは)るが故に元氣鬱滞す。
鬱滞すれば、血氣の流行よぞむ。
表と裏との氣通ぜず、上と下との氣交らず、表裏通ぜざれば天地生育の化を我にうくる事得ず。
上下まじはらざれば我腔内の精氣、五臓百骸をやしなふこと能わず、外閉じれば病外より生じ、内塞がれば病内に生ず。
此故に養生に拘(かかは)る人身(じんしん)却って衰弱なり。
試に田野の人を見よ。
偶然として百歳にわたる者多く、あながち美食せざるのみにあらず、その心、無我にして知らず識らず道に遊ぶことを得ればなり。

「養生訓」に書いている"内欲をこらえなさい、外邪を防ぎなさい、飲食を少なくしなさい、色欲をこらえなさい"等の事柄はすべてガイドに過ぎない。
これらに従うことが悪いとはいわないけれど、道に遊び人生をのびのびと愉しむことを知らなければ、必ずこだわることになってしまう。
こだわるからこそ元気は鬱屈して停滞してしまうのだ。
生命活動の源である元気が鬱滞すれば当然気血の流れは澱むだろう。
表と裏の気が交流せず、上と下の気が交わらず、表裏交流しなければ天地の有機的生成変化を我が身に受けることは出来なくなる。
上下が交流しなければ、体内の精気、五臓やあらゆる骨を栄養することが出来ず、外が閉じれば病は体表から生じ、内が塞がれば病は体内から生じる。
このようにして養生にこだわる人の身体はかえって衰弱しているのだ。
試しに世間の人を見てみるとよい。
偶然百歳になった人が多く、あながち美食をしないというだけではなく、その心中は無我であり意識せずに道に遊びのびのびと愉しんでいる。


前回に続いて、この段落でも術や方法論にこだわることが気の鬱滞や病を招き、道に遊ぶことの大切さを語っています。
秘訣は、術にこだわらず道に遊ぶことのようですが、これを説明するのは難しいですよね。

前回も今回も「道に遊ぶ」を気が鬱滞するような「術にこだわる」に対比させて「人生をのびのび愉しむ」という風に表現してみましたが、これだけでは伝わりません、おそらく。(^^;

「術にこだわる」を"考える"ということにしてもよいかも知れません。
人生をあらかじめ考えたように送る、という表現にすれば文脈的にも合っていそう。
例えば「~すべきだ」「~するのが正しい」という教条的な捉え方。
人は生(なま)ものですから、このようなハウツー的教条的な枠に縛り付けて人生を送っていれば、必ず破綻をきたすことは目に見えています。

片や「道に遊ぶ」は内発的感性や感覚主導で生きるということになります。
指針はすべて自らの内側から湧いてくるのですから、予測不可能でありながらも生き生きとしています。
自分の感性、感覚でありながら、あたかも第三者であるかのようにそれらを観察する観察者の目を持つ必要があります。
こう書くとなんだか難しく思えますが、まぁ、単純に自らに対して"より意識的になる"ということです。
100%意識的になる必要なんかはなくて、"より意識的に"、"出来るだけ意識的に"というベクトルこそが大切なんだと思います。

「寝ぬ夜の夢」でも、この先もう少し角度を変えながらこの辺のことを語ってくれると思うので(しっかりとはまだ読み込んでいない(^^ゞ)、ゆっくりと進んでいきましょう。(^^)

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