2016/11/18

「正体術大意」電子書籍復刻版発売

ついに高橋迪雄講述「正体術大意」(大正15年発行)の電子書籍復刻Kindle版の発売が始まりました。

「正体術大意」復刻版 Amazon(210円)

Coverthum

講述とありますが、とっても格調高い文章です。
写経(タイピング)、校正と何度か読み返していますが、何度読んでも味わい深い文章です。
「自然」という言葉が何度も出てくるのですが、あらためて身体が大自然の一部、または自然そのものであるということを思い出させます。
紹介したい文章はたくさんあるのですが、その一部を抜粋。


元来、身体には自然的に健康を維持する方法備わり、其の恢復を計るべき機能を備うると雖も、日常の生活様式に累(わずらわ)されて、其の機能を妨げられ、是がために各種の障碍を来す事甚だ多し。茲に於いて自己の力を以て自己の体を利用し、心身の健康の維持、恢復、増進を図り、以て精神力並びに生存力に清新なる力の持続を企図せざるべからず。正体術の清新亦此の意に外ならざるなり。


正しき均衡を有する正体の所有者は、必ず自然的健康の所有者にして、姿勢亦端正、加うるに心身は自ら一体をなし、心気溌剌にして気分爽快且つ思想堅実にして性格亦円満なり。従って斯くの如きは心に不安なく、迷妄なく、煩悶なく、人生の至楽一として味わい得ざるなき至幸至福者にして、即ち正しき身体は正しき自然の生命の運行をなす所以なり。


健康要件の完備し居る正しき身体の人に在りては、死の来るときは死を待つに適当なる状態の下に自然的に死を招き、木の枯れ、火の消ゆる如く従容として死に就く事を得べし。従って自然的生理作用に依りて死を招くが故に、死に対する不安、苦痛等絶対にある事なし。故に未だ死を怖れ、死を忌む間に死を招く事は究めて不自然なりと云うべし。即ち正しき身体は正しき生命を全うし、不自然なる生死をなさざるなり。


ところで。
身体の「歪みがひどくない人」は正体術を行えばよいのですが、ほとんどがそうだと思われる「歪みがひどい人」は矯正法を行う必要があり。
その、各自の歪みに応じた矯正法は熟練した人でなければ処方できないわけで。
そんな中、個人的には毎晩正体術を試みて就寝してます。
歪みは普通にひどい方だと思いますけど。(^^ゞ

はじめて一週間くらいになりますが、けっこう体調も気分もよいです。
正しく出来ているのかは不明。
でも、本に載っている正体術を、出来るだけ無理なく気持ちよくやってる分には、取り立てて害はないはず。
ていうか、続けていて思ったのは、いつも寝る前や起きる時にやっている、寝床での気持ちのよい「伸び」に似ているということ。
基本的正体術の姿勢を取り、そこから、痛みや無理のない姿勢を模索し、出来れば気持ちのよい姿勢や角度、方向を探し・・・。
というプロセスは、なんだかとっても操体法的。
続けていくことで、気持ちよく基本的正体術の姿勢になっていったら面白いかも。
ともあれ、地味に続けてみましょう。

しかし、正体術復刻版第一弾として高橋迪雄氏の「正体術大意」を出せたのはしあわせ。
読んでいて、「なるほど、操体法の源流ここにあり」とシミジミしていまいます。

正体術復刻版第二弾としては、大正15年照国会発行「健康真源 正体術」を製作中。
タイピングも終わり、現在校正を進めているところ。(これにものすごく時間がかかるw)
こちらは跋(あとがき)部分の著作権確認が取れていないとのことでしたが、それ以外の全文に関する出版に対しては正式に国立国会図書館の許可を得ました。

当分正体術の世界に浸れそうです。


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2016/10/28

澄んだ体、澱んだ体(按摩的感触)

2

上の図は、それぞれ「澄んだ体」と「澱んだ体」に触れた感触のイメージ図。
人の体に触れた感触は、ほんと、こんな感じです。

人はほとんど水で出来ていますから、「澄んだ体」はサラサラの綺麗な水。
なのですが、体が澱んでくると水の流れが濁ってきてドロドロになり、それが進むとほぼ固体のように硬くなります。
一般的には、この硬くなった状態を「凝り」と呼びますが、個人的には澱んだ状態も共に「凝り」と呼びます。

ちなみに、人体で「凝る」といえば筋肉だけを思い浮かべるかも知れませんが、皮膚や皮下脂肪、筋肉、骨膜や骨など、身体組織全般に渡って凝ったり澱んだりします。

水がサラサラだと感覚も生き生きとしていますが、澱んでくると澱みの度合いによって感覚も鈍くなります。
すみずみまで感覚が行き渡っていると体はとっても軽く感じますが、感覚が鈍くなるとその分「自分の体」的感覚が失われるわけですから、重~く感じるようになります。(これが常態化して当たり前になっていると、その重さも感じなくなります)


腕の感覚・左右差(実験)

などという説明を聞いても、今ひとつ実感的に分からないかも知れないので、ひとつ実験。

1.さする前の確認

まずは、立って目を閉じます。
そして両腕を感じてみましょう。
左右の腕は、今どんな感じでしょう。
左右の腕の感じに、違いはあるかないか。
多くの人にとって、左右の腕の感覚にそれほど違いはないと思いますが、その両方の腕の感覚、感触を覚えておきます。

2.片腕をさする

次に、立ったままでも座ってもいいですから、片方の手でもう一方の手をさすりましょう。
例えば左手で右手をさするとします。
最初は、両手をこすり合わせるようにし、しばらくさすったら今度は右手の甲をさすります。
右手の甲をさすり、右手首の甲側に上がってさすり、さらに右肘まで上がって甲側の腕全体に渡ってさすっていきます。
右手の甲側を肘までさすったら、今度は右手の手の平からはじめて、さっき同様に手の平側の肘までをさすります。

要するに「肘から下の、手から腕までを丁寧にさする」という試み。
もし気持ちよい場所やもっとさすってみたい場所があったら、気の向くままにさすってみましょう。
往復的にシュッシュッと素早くさすってもいいですし、往復的にそろりそろりと優しく丁寧にさすってもよいです。
(個人的に落ち着きのない人なので(^^ゞ、ぼくはシュッシュッ派です)

3.さすった後の確認

一通り片腕をさすったら、もう一度立って目を閉じ、両腕の感覚を確かめてみます。
もちろん感覚には個人差がありますから、全員が感じるというわけではないですが。
上のイメージ図、実感としてわかりません?

さすった方の腕の方が軽くなり、ほわ~っと膨らんで拡がったような感じになり。
反対にさすっていない方の腕は、棒のように重く、キュっと締まったような感じ。
そう、あのイメージ図と一緒なんですよね。


澱んだ体は感覚が鈍くなりますが、逆にその鈍った感覚が目覚めてくると、澱みが流れて澄んでくるんです。
さすることで感覚が蘇り、徐々に凝りも解消されいく・・・。

江戸時代後期、按摩の技は「揉む」こと中心になりましたが、それ以前の按摩は「さする」ことが中心の技でした。
按摩の古典「導引口訣鈔」の「導引根源の訓(おしえ)」に次のようにあります。

『諸々の病いずれが根本原因なるや。
 曰く。
 つかえ滞るによりて起こるなり。』

そして「導引口訣鈔」の中に書かれている按摩手技のほとんどがさする技。
さすることで凝りがほぐれたり体が軽くなるって、ほんとお手軽。

体が重だるい時なんかは、ほとんど膝から下が澱んでいますから、脛やふくらはぎ、足を気持ちよく丁寧にさすってあげると、かなり快適になります。
やり方は「その人なりに気持ちよくさする」がベスト。
さする場所も「やりたい場所をやりたいだけ」。

気が向いたら是非お試しあれ。(^o^)/

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2016/10/26

著作権切れのKindle復刻版を出版しよう!

国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開)には、明治、大正、昭和の著作権保護期間が満了した書籍の画像データが豊富に収蔵されています。
小説から実用本、専門書籍に至るまで、かなりのお宝の山です。

そして、所有権や人格権、商標登録に抵触しない限り、上記サイトで公開されている著作権保護期間満了書籍はパブリックドメインとなるため、誰でもその書籍を出版することが出来ます。
実際ぼくも、これまでに3冊の著作権保護期間満了書籍をKindle復刻版として出版しています。

個人的興味として、仏教や道教、インド関連が大好きなので、今後もそれらに関する専門書を復刻していくつもりです。
かなりマニアックなジャンルばかりなのでほとんど売れませんw
とはいえ、自分の興味のある書籍を、写経のようにタイピング出来るのはしあわせ。
必ず二度以上は校正するので、繰り返し読める(読まなくてはいけないw)のもかなりなメリットです。

Amazonを見ると、著作権保護期間満了書籍の画像を並べたKindle本も販売されていますが、非常にもったいないと思います。
そもそも国会図書館のサイトに行けば読めるものですし、どうせならば新たにテキスト化したものを出版して欲しいと思うのは、まあ、単なる個人的趣味の問題ではあります。
そんなわけで、自分で復刻するものは、著者への敬意も含めて、きちんとテキスト化したものを出版したいです。

他の人たちも、是非とも各自の興味ある専門書をどんどん復刻していってほしいです。
そうすれば、ぼくが見逃している興味深い古い専門書が出版されるかも知れないし、かなり楽しみ。

というわけで、自著「簡単!本格的!電子書籍の作り方」公式HPに掲示板を設置しました。

「簡単!本格的!電子書籍の作り方」掲示板

「簡単!本格的!電子書籍の作り方」に関する話題に限らず、EPUBやKindle書籍作り、Amazonでの出版に関する事など大歓迎です。
興味のある方は書き込みして下さいね。(^^)/

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2016/10/04

友だちがKindle版小説を出版したよ

友人でAskMona掲示板「自作の短歌を書いていく」トピック主宰者のなのはなさんがKindle版小説「青って雰囲気」を出版しました。
今月8日(土)午後5時まで無料キャンペーンをやっているので、是非読んでみて下さい。

・「小説 青って雰囲気:」 (Amazon)


高校生のスタンドバイミー的な小説で一気に読めると思います。
編集&電子書籍製作は不肖puruがやらせてもらいました。

↓小説のイメージ4コマ。

4koma

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2016/09/10

「按摩師甚五郎」 4(ショートショート

「按摩師甚五郎」 ゲーム(3)

「お花畑なポエマー」。甚五郎は姪の萌菜(もな)が言った言葉を思い出していた。
「お花畑の詩人・・・。そういう生活もよいですね。」
などと夢想していると、視界の端で人影が動く。見ると、治療室の窓からこちらを覗き、手を振っている萌菜の笑顔。

「さ、て、と。 "開くと願えば世界は開くのさ" みたいなお花畑っぽいお話しの続きね。ちゃんと続きがあるんでしょ?」
「いえ。あれがすべてです。」
「え~!? "私は世界に開いている"って考えるだけじゃ何も変わらないでしょ? 体とも関係ないし。」
「はい。考えるのではなくて、感じなくてはいけません。」
「感じるって?」
「そうですね。治療室の周りの風景を眺めて、その風景全体を感じてみるとよいです。萌菜子、いや、萌菜さんがその風景全体に包まれていると、全身の肌で感じてみて下さい。なんとなく "感じてみようかな" 程度でよいですから。」

「・・・。あれ? なんだか、体が広がったような気がする。」
「それが "世界に開いている" または "開こうとしている" 状態です。」
「なんか不思議~。これ、何が起きているの?」
「現代人は特になのですが、私たちは普段主に "考え" や "頭" の中で生きています。そこで、体や感覚はおろそかになり閉じてしまいます。ですが、風景を感じようとした途端に閉じていた感覚が開くのです。」
「なんだかとっても風通しのいい感じ。これとは逆だけど。前に甚ちゃんが話してくれた、閉じている時は "体は重く行動力も鈍り、思考の幅や視野も狭くなる" っていうのもなんとなくわかるわ。」

「ところで、そうやって世界に対して開いていると、実は自分の内側に対しても開くことになります。」
「ん? 自分の内側って何?」
「心の奥、とでも言えばいいでしょうか。例えば萌菜さんが男の子を好きになる時、好きになろうと考えたから好きになるわけではありませんよね。」
「そりゃそうよ。なんだか知らないけど好きになっちゃったり、ビビっと来たりするんだもん。」
「そういう想いが生じてくる所が自分の内側だと思って下さい。そこから生じて来るのは恋だけではなくて、何かに対する興味や好奇心もそうです。」
「・・・。そっか。興味や好奇心も、出そうと思っても出て来ないわね。自分の中から自然に湧き出してくる・・・。へぇ~。」
「興味深いと思いませんか? そうして湧き出して来るものは、非常に個性的でバラエティーに富んでいます。しかもそれは人の思惑を超えた次元からやって来ているのです。」
「面白~い。お花畑から今度はSFっぽくなってきたわね。」

……(続く、と思う)

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「按摩師甚五郎」 3(ショートショート)

「按摩師甚五郎」ゲーム(2)

「・・・と、インドでそんな興味深い経験をしました」。
「ふ~ん。甚ちゃんはラッキーだったのね。」
時々治療室に遊びに来る姪の萌菜(もな)が素っ気なく答える。

「はい、とてもラッキーでした。あのゲームのアイデアがやって来たことで、世界に対する自分の緊張に気づけましたから。」
「ホント、いいホテルが見つかって良かったね。」
「はい、それもとてもラッキーでした。望んでいたことが想像以上の形で現実化したのですから。世界は人の思惑を超えたものを用意してくれます。」
「・・・よくわかんないけど。思っていたものよりジャストフィットなお部屋だったのね。」
「はい! そういうことです。やはり萌菜子さんは賢いです。」
「もう! だからぁ。私の名前に子はつかないの! なんかお年寄りみたいでしょ!?」
「お年寄りは嫌いですか?」
「そこじゃなくって!」

「で! さっきのお話しは、世界とか緊張とかとどう関係があるの?」
「誰か、または何かに対して身構えていると、私たちは外界から身を守るために体を緊張させます。」
「でも、それってそう考えてる時だけで、いつもじゃないんでしょ?」
「いえ。そういう想いがあると無意識ではありますが常態化するので、その緊張は体の凝りになります。」
「凝りって・・・。体がカチカチになっちゃうの?」
「体が外界に対して開かれていると、皮膚はつきたての餅のように瑞々しいです。ですが、閉ざした途端皮膚の流れが澱んで弾力がなくなります。極端にいえばウェットスーツを着込んだような。そういう状態も凝りと呼びます。」
「うぇ。なんかすご~く気持ち悪そう。」
「はい。身は守れますが、遮断されているので外界をリアルに感じることが出来ません。体は重く感じられ行動力も鈍り、思考の幅や視野も狭くなります。」
「嫌だぁ~。そういうの。」
「極端にいえば、ということですが、澱み方の程度によりその傾向は強くなります。」
「じゃあ。その"世界に開いてる"だっけ? どうしたらそうなれるの?」
「はい。"私は世界に対して開いている"と思うとよいです。」
「・・・なんかさ。甚ちゃんって見た目ゴツイけど意外とお花畑なポエマーよね。でも嫌いじゃないわよ、そうゆうの。」

……(続く)

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2016/09/04

「按摩師甚五郎」 2 (ショートショート)

「按摩師甚五郎」 ゲーム

「なかなか見つかりませんね・・・。」
リキシャを降りた甚五郎は、インドの強い日差しを浴びながらつぶやいた。この町に着いたのは早朝だが、既に太陽は中天でご機嫌に燃えている。

インドはこれで3度目。瞑想アシュラムがあるこの町には、延べでおよそ一年間滞在したことがある。長期滞在する時は、月極めでインド人宅のゲストルームを借り、そこからアシュラムに通う。だが、今回は2週間ほどの短期滞在なので、アシュラム周辺のホテルを探すことにした。土地勘はあるので心当たりのホテルを回ってみるが、この地域のハイシーズンらしくどこにも空室はない。

インドの町を歩いていると、よく見知らぬインド人に「ジャパン、安くていいホテルがあるぞ」と声を掛けられる。彼等は外国人に正規より高い値段でホテルを紹介し、ホテルから紹介料を貰っている人たちだ。特に日本人は断れない人々なので、彼等の格好のカモになる。

馴染みの屋台でチャイを飲みながら、ふと面白いアイデアが浮かんで来た。
「これもまた瞑想になるかも知れませんね。」

チャイを飲み終え、通りに出る。
「さて、"インド人の言う通り"ゲームのスタートです。」
いかにも紹介料稼ぎのインド人に声を掛けられても、ニコニコ微笑みながら「オーケー」と身を任せるつもりの甚五郎。

一度深呼吸をし、甚五郎はこの町に、すべてのインド人に心を開いてみた。

すると、お馴染みのインドの町が、より親しみを増し優しく開いたように見える。
「世界を狭くしていたのは私でしたか」と苦笑しながら歩き出す。
自分がいかにこの町やインド人に身構えていたのかをはじめて知った甚五郎。無駄な身構えを手放してみると、なんだか素敵な予感に包まれる。「さあ、これから何がはじまるのでしょうか」とわくわくしてしまう。

その後、予想通りいかにも胡散臭いインド人に声を掛けられ、無邪気にニコニコついていったホテルは想像以上に快適で格安だった。

心と体、人生について、またひとつ学んだ按摩師甚五郎。




ほぼ実話。
実際は20年ほど前、ぼくたちカップルと友人カップル4人でやったゲーム。
宿がぜんぜん見つからなかったハイシーズンのインドで、サクッと2カップルとも快適な宿をゲットしたという面白い経験。

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